祝!上場 データセクション&カヤック

東証のブックビルディング
http://www.tse.or.jp/listing/new/

データセクション 2014/12/24/水曜日 クリスマス・イブ
http://www.datasection.co.jp/

カヤック                 2014/12/25/木曜日 クリスマス
http://www.kayac.com/

 

データセクション 取締役会長の橋本大也さん、と出会った、いやネットで知ったのが、1997年。Survey MLというメーリングリストだった。
5,000人を超える日本のネット業界のコミュニティであった。

当時の肩書きは、まだ大学生で、アクセス向上委員会というウェブのウェブマスター


http://web.archive.org/web/19990125092943/http://www.access.or.jp/
非凡なキャラクターの橋本さんがとても気になり、ゲストに招かせていただいた。

関西インターネットプレスのオフ会「関西ウェブマスターオフ」のゲストに東京から参加していただいた。
1997年8月9日(土)の第一回ゲスト
橋本大也

関東ウェブマスターオフ 創庵の佐々木博さんやキノトロープの生田昌弘さん、圓尾伸三さん、アイランドの粟飯原理咲さん、キャリア・マム堤香苗さんらも…。

その後は、「テレビとネットの近未来カンファレンス」などで登壇。

あれから、早や、17年。ついに上場会社の経営者。心から嬉しい!

当時のヤフー役員だった有馬誠さんや、ISIZE.com、車椅子で15歳のクララオンライン社長の家本賢太郎さん、今日の雑学の小橋昭彦さん、
インターネット乞食の森本繁生さん
百式.comの田口元一さんのセミナーを兵庫県の溫泉で聞いたりした。

アメリカから帰国後、3人しかいない、データセクションの事務所にKNNも間借りしていた。

そして、橋本大也さんから紹介していただいたのが、カヤックの創業者たち。

その後、デジタル猿岩石として、アメリカのベンチャー企業への突撃取材を橋本さんと共におこなった。
それからボクはシリコンバレーをめざして本格的に渡米…。
ネットバブル直前の最高潮のシリコンバレーだった。

ユーラシア大陸横断ヒッチハイクの猿岩石スタイルにインスパイアされた企画だった。
今をときめく、人気タレントの有吉弘行さんのデビュー企画番組だった。

1998年 インターネットデジタル猿岩石

世界で一番小さなデジタル放送局KNNを運営している神田敏晶(Toshiaki Kanda)、アクセス向上委員会の橋本大也がアメリカ大陸を渡り歩きながら提供する、米国インターネット・マルチメディア取材リアルタイムレポートを敢行する企画の名称。世界的に見た場合、企画自体はそれほど目新しくはないが、点で表現するメディアとしては有意義な企画といえる。

例えば1995年4月14日に、米国のサイバースペース・プロデューサーのブレット・フランクリン(Brett Franklin)は、バーチャル・トラベル・スペースを実現したいという考えから、モービル・コンピューティングとインターネットを組み合わせ、the Wireless Backpackというホームページで、デジタルカメラとパソコンを自転車に乗せて世界中を旅して、そのデータを衛星通信を利用した世界中に情報提供していた。また、点でない情報提供の例としては、ビデオカメラで撮り続ける映像をリアルタイムでインターネットで提供しているライブ・カメラやそれらを統合して一つにリンクさせ、世界を同時に観察できるなどSensoriumが開発しているホームページなどがある。

ただし、フランスのワールドカップをチケット無しで奮戦し、Le Mondeを取材すると同時に自分も取材され、日本のインターネット・ユーザーを驚かせたり、日本人が鼻血を出してていたからといって介抱している間にパスポートや金が入ったバッグを盗まれるなど、話題作りが日本人受けする神田敏晶の奮戦記は英語版も提供すれば世界中に受けるかも知れない。

ただし、フランスのワールドカップの取材に日本の代表と同じユニホームでビデオ・ジャーナリストが一人、Le Mondeを訪ねれば、日本の朝日新聞や毎日新聞のような堅苦しい権威主義を嫌うLe Mondeも取材するのは当然である。

また、パスポートやお金を盗まれるのも、ドジな金満日本人というイメージが世界中に知れ渡ることだろう。海外で実施するインターネットやマルチメディアの飛び込み取材に関しては、どれほど言語と根底になる基礎知識があるかでその深さが判る。

例えば、NHK教育テレビが1998年6月6日21時から放映したNHK番組制作局学校放送番組部ディレクタ窪田 栄(Eiichi kubota)が担当の「未来潮流 アムステルダム発・情報運河をゆく」で、内容はおもしろいが上野俊哉(Toshiya Ueno)が現地取材で応える返事が、「イエス」「ヤー、ヤー」の連続で、日本人お得意のお愛想笑いでごまかしたような場面が多く、判っているのかどうか少し不安になるところがあり、基礎知識不足と言語能力不足、つまり勉強不足を感じた。判らなくてもぶち当たりで何とか成る方式の取材手法もあるが、専門分野の場合、サッカーの取材と違って技術や言語の基礎知識がないと、このような取材が多くなる。

ただし、今回のインターネットデジタル猿岩石はテキストとシステム担当は、アクセス向上委員会の橋本大也、アテレコしてエンコーディング、FTPにしてRAMファイル書いてアップロードする担当が神田敏晶ということで、すごい独立系情報発信になりそうである。つぎにNHKが大金をはたいて取材してから情報発信をするドキュメント番組を、デジタル・ヒッピーが制作する独立系ビデオ・ジャーナリストが抜く時代になった。

一般のテレビ局もビデオ・ジャーナリストを世界中で活用し、専用チャンネルを提供するデジタル・ヒッピーが提供するCNNより生々しい情報提供の時代が近づいている。また、東京を中心として情報発信の時代から、インターネットとビデオジャーナリストのドッキングにより、アクティブな関西の勢力が台頭するようになっている。

これは江戸時代に台所といわれた大阪が江戸の政治とは違った文化を形成したように、関西からの情報発信はマスメディアからの脱皮になるかも知れない。インターネット上には、ジャーナリストのためのサイトとして、イメージ画像のTIFFファイルと主にワープロ向けのRTFファイルがひとつの圧縮ファイルにまとめられて提供されているResource For Journalistがある。LewRockwell.comのDavid Barnesは2001年11月23日に、サブカルチャーにおけるヒッピーの資本主義として、コメント「The Hippy Market」を公開した。詳細情報はURL(http://www.lewrockwell.com/orig2/barnes1.html)で知ることができる。日立製作所システムソリューショングループは2002年2月28日に、コンサートや演劇等のチケットをインターネットで予約、決済を行い、当日、劇場に設置されたマルチメディア端末で発券を行うA SPサービス「チケット予約・決済サービス」を興行主向けに2002年3月1日から販売開始することを発表した。詳細情報はURL(http://www.hitachi.co.jp/New/cnews-m/2002/0228/index.html)で知ることができる。International Herald Tribuneは2004年11月29日に、フランスの新聞Le Mondeの編集長として世界的に知られるEdwy Plenelが辞職したと報告した。詳細情報はURL(http://www.iht.com/articles/2004/11/29/news/paris.html)で知ることができる。Washingtonpostは2004年12月2日に、2004年12月末で印刷されたLos Angeles Timesの国内版を中止すると報告した。Los Angeles Timesはすでにシカゴが本拠のTribune社に買収され、Los Angeles Timesの全国版はボルチモアで印刷され、ワシントンとニューヨークで発行されている。詳細情報はURL(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A30277-2004Dec2.html)で知ることができる。International Herald Tribuneは2004年12月13日に、Le Mondeの新しい編集長に55歳のGerard Courtoisが就任したと報告した。詳細情報はURL(http://www.iht.com/articles/2004/12/13/business/france.html)で知ることができる。

http://www.jiten.com/dicmi/docs/k2/13999s.htm

 

—-今回、訪ねたベンチャー企業にはどういった会社がありましたか?

「東海岸、西海岸のベンチャー企業を9日間で大小合わせ、約20社程度まわりました。シリコンバレーの街角では、バスの横に“infoseek”と書いてあるバスが走っていたりして、インターネットビジネスが新しい産業として根付いていることを実感しました」

—-思い出深いのは?

「印象に残ったのは米リンクエクスチェンジ社(サンフランシスコ)と米New Paradigm Communications社(ニューヨーク)。リンクエクスチェンジ社は、最初2人で始めたバナーエクスチェンジの会社で、現在25万以上のメンバーサイトを抱えるWeb最大の広告ネットワーク。現在は従業員70人で年間4億円以上の利益があるそうです。New Paradigm Communications社は週に1回、約2万人の会員にシリコンアレーの最新情報を提供しています。ここのWebサイトでシリコンアレーの情報が何でも揃うのですが、たったの3人で作っているというから驚きです」

・バナーエクスチェンジとは?
お互いのホームページで バナー広告を交換して掲載するシステム。ホームページで宣伝を流してもらえば多くの人を集めることができるが、持ち主にいちいち依頼するのは大変な作業だ。そこでホームページ上の場所を提供し、お互いのバナーを表示し合う仕組みが登場した。この一連の作業を米リンクエクスチェンジ社では行なっている。

・シリコンアレーとは?
西海岸のシリコンバレーが、広大な土地で斬新なテクノロジーやソフトウェア開発をしているのに対し、ニューヨークはマンハッタンのシリコンアレーは、工場など大きな建物がない狭い地域だ。そもそも“アレー”とは“小道”という意味。マンハッタンには出版や広告・放送などの世界の窓口が集まっており、比較的新しいインターネット技術も注目を浴びている。マンハッタンの南地区は、いつしかシリコンバレーに呼応して、シリコンアレーと呼ばれるようになった。

 

米New Paradigm Communications社がテナントして入居しているNYITC(左)と、発行人ジェイソン・シェイバカス氏(右) 米New Paradigm Communications社がテナントして入居しているNYITC(左)と、発行人ジェイソン・シェイバカス氏(右)

—-神田さんが編集長の1人を務めているメール配信サービス“日刊・デジタルクリエイターズ”は、3人で発刊されています。3年後なら総勢100人で億万長者というのも夢ではありませんね。

「そうはいきません。私の放送局や電子メールは、儲かるという状態からはほど遠いのです。今回の出張費用ですが、飛行機代はワールドカップの寄り道ということでタダ。またアメリカのマルチメディア企業のレポートを某シンクタンクに提出したり、講演会で今回のビデオを紹介したりでようやく費用を捻出してるんですよ」

—-そのお話しで判断するかぎりでは、同じように少人数のメール配信をしているNew Paradigm Communications社と、神田さんとはビジネスとしての成長性に大きな開きがありそうですね。

「そうですね。アメリカはベンチャー企業が非常に育ちやすい風土だと思います。まず、インキュベーター(企業孵化器)の機能が日本とはまったく違います。インキュベーターとは、創業して間もない企業を育てることを目的として作られた施設。例えばアメリカではインキュベートセンターで、オフィスに必要なOA機器の貸し出しから、技術相談、マーケティング、マネージメントなどの経営相談支援まで行ないます。一方の日本では、家賃を安くするだけでインキュベートしていると思っている」

マイクやビデオカメラなどを持ち込んで、ホテルの一室が放送局に変身
マイクやビデオカメラなどを持ち込んで、ホテルの一室が放送局に変身

「また、投資家であるベンチャーキャピタルに関わる制度が日本に比べて整備されているという点もありますね。例えば、寄付金には税金が掛からない、失敗した投資分と成功した投資分とを合算してプラスになった分に税金が掛かるといった点です。ベンチャーを取り囲む投資家の税制措置などの土壌がきちんとできているのです」

「日本に比べて株式を店頭公開しやすいという点も大きな理由の一つでしょう。ベンチャー企業が大きくなるまでの猶予期間としては5年がめどなのですが、その後も“エンジェル”と呼ばれる個人投資家によりサポートされます。これらによってベンチャー企業への投資が活発に行われ、活力ある企業が創出されるんですね。ベンチャービジネスを志す人たちはみな、目がギラギラしているのではなく、キラキラしているんですよ」

「どんなカードがきても勝てるという意気込みと、小さなビジネスチャンスをどれだけ派手に大きく見せることができるかで、勝負は決まるのでしょうね。そういう気風がシリコンバレーを代表とする米国のベンチャー風土には溢れていた気がします」

http://ascii.jp/elem/000/000/312/312497/