五箇条の御誓文 明治政府の基本方針を時の首相、吉田茂はこう称した

五箇条の御誓文

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%AE%87%E6%9D%A1%E3%81%AE%E5%BE%A1%E8%AA%93%E6%96%87


一、廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一、舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
— 「五箇条の御誓文」
国立公文書館 展示 筆者撮影

五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)は、慶応4年3月14日(1868年4月6日)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針である。正式名称は御誓文であり、以下においては御誓文と表記する。

関連 大日本国憲法

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自民党改正案では天皇は元首へ

常に、時の首相はそれまでの憲法を利用するようである

「日本の憲法は御承知のごとく五箇条の御誓文から出発したものと云ってもよいのでありますが、いわゆる五箇条の御誓文なるものは、日本の歴史・日本の国情をただ文字に表しただけの話でありまして、御誓文の精神、それが日本国の国体であります。日本国そのものであったのであります。この御誓文を見ましても、日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものであり、あえて君権政治とか、あるいは圧制政治の国体でなかったことは明瞭であります」

終戦翌年、昭和21年(1946年)6月25日、衆議院本会議における日本国憲法案の審議の初め、当時の吉田茂首相
その後、昭和21年(1946年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の
昭和22年(1947年)5月3日に「日本国憲法」は施行された。

もちろん、GHQが8日間で考えたなどの発表はおこなわれていない。

(日本国憲法は)GHQ(連合国軍総司令部)の素人がたった8日間で作り上げた代物

安倍晋三首相は2015/05/6日の衆院予算委員会で、現行憲法を「GHQ(連合国軍総司令部)の素人がたった8日間で作り上げた代物」と評した自身の見解を撤回しなかった。「原案が(憲法学に精通していないGHQ関係者により)短期間に作成された事実を述べたにすぎない。首相が事実を述べてはならないということではない」と重ねて強調した。
http://www.sankei.com/politics/news/150306/plt1503060043-n1.html

今こそ、歴史に学ぼう!

歴史は何度も繰り返される。
それは、歴史を忠実に守れるのは経験的な50年間くらいのスパンでしかないからだ。
経験ではなく、知識によって、古文書によって、時の権力者が間違ったデシジョンをしないように注意しなければならない。

そのためにも、国立公文書館にある古文書からも憲法の歩んできた道を再度学んだほうがよい。

激動幕末
http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/bakumatsu/index.html

 

独立行政法人 国立公文書館 概要予算 2015年(平成27年度)
合計 23.05億円 (内閣府予算2.7兆円の0.08%)
運営交付金 19.85億円

内閣府予算 2.7兆円
http://www.cao.go.jp/yosan/soshiki/h27/yosan_gai_h27.pdf


池上彰が読み解く! 戦前ニッポン 総理の決断(1885-1945) (小学館GREEN Mook)