IPv6マルチキャスト時代に思うこと

KNNポール神田です。ボクには、通信と放送の違いがだんだんわからなくなってきた。 かつて、通信と放送の大きな違いは、双方向と一方通行というカテゴリーにあったはずだ。また、通信には「上り」と「下り」という2つの線路があるが、放送は「下り」だけでよかった。

IPv6」が登場したことによって、IPアドレスが不足することは皆無となった。2の128乗個(340,282,366,920,938,463,463,374,607,431,768,211,456個)という無限大に近いほどのIPアドレスを振れることになるという。ありとあらゆる物にまでIPアドレスをつけて、IPプロトコルで通信できることになるのだ。文系のボクにはそこのところの詳しい構造はよくわからないが、とにかく便利ということだけは体感できる。

1993年、インターネットの黎明期にワシントンD.C.にある中華料理屋の2Fでカール・マルムッド氏が、世界で初めて1対多による「インターネット放送(厳密には通信であるが・・・)」を「M-bone」で開始した。M-boneとは1992年にXerox社のプロジェクトで、複数の決められたIPアドレスに対してマルチキャストを行う技術であるが、当時のIPv4では帯域を一気に占有してしまうため、決して効率のいい送信方法とはいえなかった。しかし、放送の免許を持たない事業者でもインターネットで放送に近いことを実現することができる当時の唯一の方法であった。この記事を読んだ時にボクは非常に感銘を受けた。その後カール・マルムッド氏は、「M-bone」のマルチキャストで、独自の視点で政治関連のコメントをインターネットというメディアで放送し、強固なネットワークを世界中に張り巡らせるに至った。閉鎖的な記者クラブに属す事なく…
http://www.uniadex.co.jp/nextalk/side/si2004_09.html

1995年にボクは、GLOCOM(国際大学コミュニケーションセンター)の協力を経て、阪神大震災の取材映像をインターネットで放送することができた。日本の黎明期のインターネットであるが、被災地の状態がビデオデッキもテープも存在しないコンピューターからアクセスできたのだ。ストリームワークスやリアルネットワークスなどの「ストリーム用エンコーダー」が存在していない時代である。その反響の大きさに驚いた。だが、それが通信であろうが放送であろうが、ボクには関係なかった。情報を伝えるメディアとしてのインターネットの可能性が輝いて見えただけで良かったのだ。もちろん双方向性ではなかったが、電子メールで外国から感想や意見が届くというIPプロトコル上でのコミュニケーションは何でも可能にしていった。世界が結ばれていることを実感できた瞬間でもあった。

1996年、カール・マルムッド氏の提唱で、IWE(インターネットワールドエキスポ)が開催され、フィナーレは震災で復興を遂げる神戸で開催された。フィナーレでカール氏は、「世界がネットによって技術的には一つになれる時代に、我々は生きている。しかし、未だに理解できずに憎しみあっている場面が随所にある。インターネットはそれらを解決できるツールに成りうる可能性を秘めている。また、震災のような局面においては、マスメディアとは異なる情報をインターネットは発信することができる。我々は本当に何が起きているのかを知るべき術を持つことができたのだ」と語った。

カール氏の提唱したインターネット社会にはまだまだ成りえていないが、IPv4からv6へと変遷を遂げることによって、映像コミュニケーションが、マスメディアの放送とはちがった双方向通信時代の映像コミュニケーションとして、期待できるインフラへと進化を遂げ始めている。従来の「ビデオ・オン・デマンド」配信というフォーマットの普及も見込めるが、近い将来、放送で送られるデータも通信で送られるデータもすべてがハードディスク内蔵のDVDレコーダーやパソコンの中でとりまとめられ、ユーザーが選んで視聴するという時代を迎えることだろう。

その時に視聴者が持つのはそれが「テレビ番組」なのか「インターネット番組」なのかという視点ではなく、「どちらが面白いのか?どちらが役に立つのか?どちらが得をするのか?」という視点だ。単に退屈しのぎではなく、積極的に効率を考えて番組を見るという視点である。しかもv6で接続された環境で、それらの情報をもとにさまざまな情報を引き出し始めると、それはもう「視聴」ではなく、「アクセス」という形態に変化しているに違いない。

ギガビット/マルチキャスト社会の主役はメディア側にあるのではなく、スマートな視聴者に委ねられてくるような気がしてきた。

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