スポンサーリンク
神戸岡本商店街アリオリオ http://ariorio.com/ の松田さんからご招待を受けて、東京・初台の新国立劇場で、人生初のオペラ経験をさせていただきました。少し時間が経ちましたがレビューです。
プロセニアム・アーチの見事な新・国立劇場に圧倒される。年間約300回の公演を約20万人が楽しむ。120人が演奏できるというオーケストラピットに4面舞台。
開幕前にはオーケストラピットに団員が入りスタンバイ。そして、開幕。オーケストラピットにスポットライトを浴びて指揮者が登場。拍手でもって迎えられ、一曲演奏。日常から叙々にオペラの世界観へ誘われて行く。
ロック・ミュージックのライブくらいしかいかないボクにとっては、この生音だけの演奏に驚いた。通常ホールにある左右にあるP.Aからしか音は聞こえてこないが、確実にオーケストラピットからのそれぞれの生音だけしか聞こえてこない。
さらに、幕があがると、役者たちの生声に驚く。当然だが、オペラにマイクはない。オーケストラと役所の生声だけでストーリーは展開する。当然、イタリア語は左右の字幕で読み進めていく。
「コジ・ファン・トゥッテ」は、
Così fan tutte, ossia La scuola degli amanti(女はみなこうしたもの、または恋人たちの学校)というモーツアルトが作曲したオペラ喜劇で1790年に初演されたという。なんと200数十年も前のことだ。
物語は、姉妹の恋人がそれぞれ、相手が浮気をするかしないかを賭けるが、結局どちらも浮気をしてしまう…女はみなこうしたものという、なんともトホホ感が漂うストーリー。
もう、完全にストーリーがオトコの甲斐性のなさを200年も昔から物語っている。逆に、オトコが、どんなことがあっても、何があっても、自分を決して裏切らない女性を追い求める傾向にある。しかし、それは無理な話だ。オトコがいなくなってしまえば、オンナは頼りになるオトコを欲してしまうからだ。むしろ、同じ賭けをするならば、自分がいるのに他のオトコになびくかどうかだろう。それだと、たとえ、賭けに負けても、将来的な人生の賭けで損をすることはないからだ。
オペラでユニークなのは、第一幕で休憩があるところだった。コンサートでも昔はあったかもしれないけれど、最近はドームとかが増えてしまい、休憩時間の飲食の収拾がつかなくなってしまったのであろう。そういう意味ではマックス2,000人くらいの劇場だといい。
そういえば、休憩なんて途中であるのは、チャールトン・ヘストンの映画「ベン・ハー」以来だ。
30分も休憩があるが、シャンパンやカクテルを楽しみながら、オペラという第一幕を肴に話がはずむとあっという間だった。これは、なかなか日常ではない時間だ。途中で話の展開について、それぞれの観客がディスカッションする。何度も見て知っている人、初めて見る人、さまざまな話題が飛びかう。
この幕と幕の間での会話は、実にソーシャルメディアの本質に似ている。 同じ話題を共有している人たちで、それぞれのインプレッションが、さらなる話題へと加味されるからだ。
さて、次の舞台がそれぞれ始まる。
オペラの舞台がクルクルと回っていくのも、昔見た「8時だよ全員集合」以来だ。
滑稽なストーリーを追いかけていきながらも、オーケストラの楽団、役者の約3時間にもわたる声楽の一糸乱れぬ集中力には、敬服するばかりだ。
ラストはハッピーエンドとならずで、「じぇじぇー!」な終わり方だったが、優雅な気分になれた3時間であった。
松田さん、ありがとうございました!
スポンサーリンク