東京新聞 2012年5月22日 朝刊
東京電力福島第一原発1号機には毎時六トン前後の冷却水が注入されているのに、格納容器内の水位はわずか四十センチほどしかない可能性が、原子力安全基盤機構(JNES)の解析で分かった。2号機の水位は約六十センチしかないことが実測で判明しており、格納容器損傷の深刻さをあらためてうかがわせた。
これは淡々として、きわめて客観的な記事であるが、主観的に読まなければならない記事である。
毎時6トン、つまり1日140トンもの核燃料に触れた汚染水はどこへ消えているのだろうか?
憶測で書きたくはないが、汚染処理された水も漏洩した水も一体どこへ?
タービン建屋の地下に流れた水の行方はどこだ?
すべての水は、海へと帰る…。
残念ながら、海は人工的に創った放射能を自然に分解してくれる機能を持ちあわせていなかった。
海で生活しているプランクトン、それを食べる魚、それを食べる人間。
蒸発する海水。海水はやがて雲となり、雨となり、地球上に降りかかる。その雨で農作物は作られる。
地球が空気の層で、宇宙に覆われている以上、1日140トン、年間にして5万1100トンもの冷却水は、どこにも消えはしないのだ。
1日140トンといえば、象でいうと46頭分だ。シロナガスクジラなら1頭分の水だ。
この新聞の記事は、きっとそういう事を主観的に伝えたかったのではないだろうか?
原子力安全基盤機構(JNES)の発表は、結果のレポートだけでなく、それがどういうことを意味するのかまでも発表しなければならない。
バベルの塔の話を思い出した。
電力を使う生活に放蕩しつくした人類のシンボルである「原子力の塔」は、神の怒りに触れてしまったのかもしれない。
自分で自分のお尻を拭けないモノが、それをあつかう資格など無いことを知らせてくれている。
1884年に生まれた蒸気タービンが電気を作る128年前まで、誰も電力を使った生活をしたことがなかったことを考えてみてほしい。
人類と電気の生活は、たかが128年なのだ。
我々の祖先は、何千年にも渡り、電気の力を借りずに生きてきた。
人類は、発電のタービンを回すために、数万年にもわたって蓄えてきた地球の貯金である化石燃料を、この百年間で消耗しようとしていた。そこで登場したのが原子力だ。
1951年12月20日午後1時50分に米国のEBR-I(Experimental Breeder Reactor No.1)で生まれた原子力発電は、200Wの電球を4個灯しただけだった。
化石燃料の代替エネルギーとして、世界に広がったが、原子力発電は、現在61歳になって社会に、地球に大迷惑をかけてしまった。
電気に頼らなくても生きていけるアイデアや生活スタイルも、代替エネルギーを模索する以上に重要だと思う。
京電力福島第一原発1号機には毎時六トン前後の冷却水が注入されているのに、格納容器内の水位はわずか四十センチほどしかない可能性が、原子力安全基盤機構(JNES)の解析で分かった。2号機の水位は約六十センチしかないことが実測で判明しており、格納容器損傷の深刻さをあらためてうかがわせた。
解析は、注水量や格納容器への窒素の注入量と、格納容器内の圧力変化の関係を調べ、どこにどれくらいの損傷があれば、変化をうまく説明できるか探る手法を使った。
その結果、格納容器本体と下部の圧力抑制室をつなぐ配管周辺に直径数センチの穴が開いている▽穴の場所は、格納容器のコンクリート床面から約四十センチの高さで、穴から大量に水が漏れ、水はそれより上にはない-との結論になった。
漏れた水は、原子炉建屋地下に流れた後、配管やケーブルなどを通す穴を通じ、隣接するタービン建屋地下に流れ込んでいるとみられている。東電は1号機の格納容器の水位は約一・八メートルあると推定しているが、それより大幅に低い。
格納容器の厚みは三センチほどあるが、穴があるとみられる配管(直径一・七五メートル)の厚みは七・五ミリと四分の一程度しかない。専門家からは、配管は構造的に弱いとの指摘が出ていた。
溶け落ちた核燃料が完全に水に漬かっていないことも懸念されるが、JNESの担当者は「格納容器内の温度は三〇度程度と高くはない。水に漬かって冷やされているとみられる」と指摘する。
廃炉を実現するためには、格納容器の損傷部を補修し、圧力容器ごと水没させる水棺にすることが必要。担当者は「解析結果は損傷部の特定に役立つ。今後はカメラによる実測も検討しなければならない」と話した。