11月11日の自殺予告する人たちへ

最近、テレビでの自殺報道の過剰ぶりが異常に感じる。

「自殺示唆の手紙新たに5通 文科相あてに」
いじめによる自殺を予告する手紙が文部科学省に届いている問題で、同省は10日、自殺を示唆する内容の手紙が新たに5通届いたと発表した。
 いずれも伊吹文明文科相あての封書で、同日午前中に文科省に届いた。同省は東京都教育委員会などに、該当する事例がないかなどの確認を要請した。

http://www.sakigake.jp/p/news/national.jsp?nid=2006111001000443
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20061110-114938.html
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2006/11/10/02.html
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20061110/mng_____sya_____008.shtml

連日の「自殺」に関する過剰報道から、今度は「自殺予告」という、社会や学校に対しての恨みを、自爆テロと同様の手段での予告が届いているそうだ。

自身のブログで自殺をほのめかしたり、自殺をすることによって、自分に対して「イジメ」たものへの報復とする人たちが増えている。

確かに、みのもんたさんやテリー伊藤さんたちが、いじめた人たちを罵倒してくれるかもしれないが、本質的には何も変わらない。

むしろ、みなさんの「自殺予告」や「実行」によって、「いじめ自殺」が、「ニート」や「ひきこもり」と同じように、当たり前の行為として社会に認識されたり、自殺することが美化されることのほうが問題だろう。

人にはそれぞれ、役目があると思う。大変な時期があるかもしれない。しかし、何億もの精子と数百の卵子が偶然に近い確立で出会って生まれてきたのもあなたなのである
いじめられることも、ひとつの神からも試練なのかもしれないと思えないだろうか?。死にたいと思わない人なんて本当はいないだろう。

自分が死んで恨みがはらせるのだろうか?自分が死ぬことによって、両親が友達が、また誰かを恨み、そこでまた、イジメを働いてしまうのかもしれない。イジメたからイジメかえして、自分はどこかへ…というのならば、あまりにも都合が良すぎるのではないだろうか?

ボクも中学校時代は、イジメられていたらしい…。いや、自分では、イジメられたという認識はない。というか、都合の悪い記憶は消してしまった。もしかしたら高校時代も、イジメられていたのかもしれない。いつも校庭の裏に呼び出されてボコボコにしばかれていた。しかし、それはいつも、目立った行動をとるボクに対しての嫉妬だとボクは自分に言い聞かせてきた。自分がそこで認めてしまったら、イジメを正当化されると思ったからだ。

しかし、今はかつてボクをイジメていた人たちと、オトナになってからは、笑い話で仲良く酒をよく飲んでいる。イジメる理由なんて、実はそんなに対した理由ではなかったようだ。よくあるのが、自分がいじめられたくないので、いじめる側につくという人たちの考えだ。むしろそれよりも、イジメられる側にまわった方が、精神的には気持ちがいい。

また、社会人になっても、イジメられたくないので、人をイジメる人たちは、会社にたくさんいる。それは、昇給や出世がからむからさらに悲惨だ。

そんな会社関係で生き抜く人もいれば、ボクのようにさっさと離脱して、自分で細々と生きるという手段を選ぶ人もいる。それもまた人の人生だし、人の勝手だろう。

また、ボクにはイジメるつもりでないのに、人を傷つけてしまうこともよくあるようだ。まだ、自殺されたことはないと思うが、女性に刺されそうになったこともある。よかれと思ったことが正反対になることもある。人間なんて、同じように作られていながらも、どうもこれだけ多種多様な生物になるものかと思うが、それだから面白いという部分もあるだろう。

また、人がなんと自分のことを思ったっていいじゃないと思っている。どうせ死ぬときは一人なんだし、あと数十年でどうせ死ぬのだから、思いっきり自分のやりたいことをやろうと思ったらどうだろうか?やり残していることはないだろうか?

自殺する勇気があるのなら、何もしないで空っぽになってみてしばらく回りを冷静に観察してみるのはどうだろう?本を読む、音楽を聴く、新しいことをはじめる。なんでもいいと思う。

どうしても死なないとダメな理由があれば、死んでもかまわない。納得して命を絶ってほしい。死んだあとで、社会にどう思われるかなんて未練や期待もしないでほしい。

テレビもそのうち、何もなかったように、次に話題になるものに話題は映っている。

ドナー登録するのもひとつの方法だ。あなたの心は死にたがっているのかもしれないが、他の臓器は生きたがっているだろう。せめてその臓器までみちづれにすることはない。どこかの誰かが欲しているんだから。

ドナーとして、臓器提供にサインしてから、ボクは、急に人にあげるのが惜しくなった。もっと自分のために自分の体を酷使したいと、思うようになった。何もかわらないかもしれないが、心のスタンスがかわるだけで、かなり人間ってまわりの状況を変えられると思う。

もし、それでも死のうと思うのなら、電話ちょうだい 090-7889-3604

きっと来世でいいことがあるようにとおまじないしてあげるから!

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