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11年前の今日の話

1995年01月17日、阪神大震災から11年が経った。あれから何年というメディアの報道もフェードアウトされ、「防災とボランティアの日」としてだけ位置づけられるのだろう。

そこで、今日はこの日に何が起きたのかをもう一度皆さんに少しでも知っておいてもらいたい。

 

ボクは、神戸生まれの神戸育ち。神戸市の兵庫区で生まれた。小さな頃からの街並は、すこしづつ変化しながら、現代風の町並みへと変わっていた。

しかし、1月17日のたったの数十秒の揺れですべての景観が変わってしまった。

昼間に挨拶した昔なじみのおばちゃん、風邪をひいていた近所の本屋のおばあちゃん、いつものクリーニング屋さん、牛乳工場の人たち。

1月17日の朝、その人たちは帰らざる人になってしまった。瓦礫の中から、掘り出したグッタリとした人らしき物体。これほどまでに重いのかとおもうほど重い。何でこんなことにと想いながらも、自然の猛威に対してこんなにもひ弱すぎる人間を作った神に理不尽さを感じた。

病院から体育館へと次々と運び込まれる人たち。あのずっしりとした重さは、一生忘れることはないだろう。きっと、魂の抜け切っていない死体はこんなにも重いのかとも感じた。

昼頃になって、メディアがハイヤーに乗ってかけつける。寒さに震え、毛布をまとう人を尻目にハイヤーは暖房をかけて記者の帰りをまっている。ボンネットには大手新聞社の旗がひらめいている。

新聞社のカメラマンは、よりインパクトのある写真を取ろうとできるだけ、地面に近づき、燃えさかる近所をあおり気味で撮影する。人の不幸を露出計で測っている所作に無性に腹がたった。

テレビメディアのカメラマンとレポーターは、より悲惨な状況を探している。家が燃えている前で泣いている人に容赦なく「現在のお気持ちはいかがですか?」と聞く。

寒さをしのぐために、集会所に集まる。ご近所の知っている顔、知らない顔が集まり、互いに譲り合いながら、寒さをしのぐ。家が燃えてなくなった人と、残った人との間で大きな温度差があった。

1月18日の朝、炊き出しもボランティアもない時におにぎりを売りに来た業者がいた。最初は一個500円だったが、昼頃にはおにぎりが一個3000円という信じられない光景になっていた。

おにぎりが3000円となると、非常事態が起きた…
近くのコンビニのシャッターがこじ開けられ、店内の食料が略奪される。食べ物のなくなったコンビニにゾンビのように人が群がる。神戸市民よ!いつからゾンビになってしまったんだ!人間としての誇りを持て!こういったことは、まったく報道されない。これこそ報道すべきことだ。

どこかの政党が政党名を連呼しながら、おにぎりやお菓子を配布しはじめた。ないよりましだが、こんな時にあさましすぎる。

神戸を代表するヤクザの組織がおにぎりをもってきて配りはじめる。コワモテのおにいさんが、避難所に来て、お手伝いをする。任侠の世界はこんな場面ではとても頼もしい。

4日後、電気が通じて、ようやく生活ができるようになる。水道やガスよりも何よりも電気がなければ何もできないことがよくわかった。今後は一年に一度、電気のない生活をする日を作って、体験するのもいい勉強になることだろう。「電気の断食」は断食以上に厳しいだろう。

1週間目になると、ボランティアが集うようになった。炊き出しやら、片付けなどいろんな面で活躍する。しかし、ある炊き出しの風景をみて、ぞっとしてしまった。被災者のための炊き出しの列に半分以上のボランティアが並んでいる。何のための炊き出しなのかがわからなくなる。TVメディアは、被災者とボランティアが交流しながらの炊き出しを日本人の美徳として紹介する。「ボランティア元年」と言い出す。

ボランティアは、できるだけ、現地での活動を、現地のリソースを消費するのではなく生産できることが必要ではないだろうか?マスメディアの情報だけを鵜呑みにしてやってこられても迷惑なだけだ。避難所には毎日、新しいボランティアがやってくる。「何に困っていますか?」「あんたらの対応に困ってんねん」という本音もついつい出てしまった。

TVで義捐金の募集がはじまった。とてもいいことだ。しかし、全壊や半壊の人がその義捐金を手にしたのは半年もあとのことだ。しかもその義捐金が震災記念館の建設などに費やされる。有識者らの会議の上で決まったことだろうけど、義捐金の意味があったのだろうか?また、半年後に10万円をいただいても、家の修理費が500万の見積もりをもらっている時期だと、あまり喜べるものではない。
おにぎりが3000円しているときに1万円もらえたほうがよほど嬉しかった。

ボランティアや寄付はすべていいことと思われるが、その行為の性質が現地で本当に必要なのか?また、金の使われ方にもっと興味を持ってもいいのではないだろうか?

ボランティアは決して、親切の押し売りになってもいけないし、ボランティアを断れない人たちがいることも理解しておくべきだろう。寄付をするならば、どこへ、いつ、どのように使われるのかを明確に目標設定されたところへ寄付しなければ、寄付したつもりだけで、本当の寄付にはなっていない場合が多いことも知っておいてほしい。

11年目の「防災とボランティアの日」にて。