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2013年4月1日(月)
変身カメラで変身中!
電子書籍元年、タブレット元年、スマホ元年、何でも元年がつくけれども、元年が本当はいつだったのか?ということは、あまり気にならなくなってくるくらい元年がわかりにくくなってきている。
しかし、今年は再浮上したウェアラブルの元年らしい…。
こんなサイボーグ化したパワードスーツのウェアラブルは日常ではあり得ないが、これが何かのスポーツだとしたら、十分に考えられる。
アメフトの競技に人体のパワーを原動力として、電力のパワーに規制をかけ、その中で技術力とゲームを競うアメフトチームにしてみるとか…。
Googleが今年ウェアラブルなGoogle Glassを投入するが、香港や中国で流行ったとしても、Bluetoothのヘッドセットでさえ、付けたがらない日本人にはGoogle Glassでも付けたがらないだろう。
ましてや、人と会っている時に、人との目線をはずして情報を見ているという態度は、なかなかできるものではない。
儒教の国の日本や韓国では、目上の人に失礼とかになりそうだ。
むしろ、日常ではなく、ウェアラブルスーツまで着込んでしまい、スポーツ競技(モータースポーツ?)であれば誰も文句のいいようがないかもしれない。
ウェアラブルデバイスは、何かのために必要であると誰かに認識させないと、いきなりウェアラブルなデバイスは浸透しにくいのではないだろうか?
ただ、ひとつ浸透するマーケットとしては、ホワイトバンドのような、腕輪によるライフロギングツールだ。
チャリティームーブメントの中でのホワイトバンドがあったので、ライフロギングツールとしては浸透しやすい土壌ができている。 あとは時計かネックバンド(ネックレスタイプ)くらいだろう。
意外にネックバンドなどはシャツの下に隠せて人に見せないのでいいのかもしれない。
噂されているアップルの時計も多いに気になるところだ。デザインを必要以上に意識するアップルが、時計の再発明に取り組むとしたら、いったい何を再発明するだろうか?
いや、どこを再発明するかが気になる。/p>
時計はすでに時間を示す機能以上に、その人のアイデンティティーを語るオブジェと化している。その中で単一品種のアップル製品で、ラグジュアリーであったり、カジュアルであったり、ブランディングであり、いろんな「見せ方」「見られ方」が、時計というシンボルには要求されている。
まずは、薄膜ディスプレイで曲面で情報が表示されたとしても、それがクールかどうかはまったく別問題だ。
また、かつてのSF漫画の用に、腕時計に向かってしゃべりかけたいとは誰も考えてはいない。
現行の時計をする行動と変わらず、再発明しなければならないから今度の壁はさらに大きい。
そして時計以上に、眼鏡はさらに顔の個性にまで影響するので難しい。
本当の意味でのウェアラブルなコンピューティングが普及するカギは、ファッションを制する必要がある。
ファッションと機能が一体化するデザインが必要なのである。