View from 79F 1WTC(North Tower) Photo by Yoshi Taniguchi
9月10日(月)マディソンスクエアガーデンでの、マイケル・ジャクソン30周年コンサートの2日目。来場者の取材を終え、http://www.razorfishstudios.com/の雑誌「bust」http://www.bust.com/のクラブイベントでレザーフィッシュの共同創設者のジェフ・ダッチ氏と面会し、元デジハリ関係者と一緒に飲んでいたら、もう当日の朝5時すぎ。
ワールドトレードセンターには、景気の悪化や日本企業の退出で、空部屋が多くなり、クリエイターやアーティスト向けに部屋を貸しはじめているとNYの知人に教えていただき、取材のアレンジをお願いしていました。いくつものドットコム企業の退出した後のガラガラの空間を撮影したかったのですが、帰国の予定と重なってしまったので、また次回にということになりました。
ラガーディア空港7時59分発のコンチネンタル733便には、早すぎるけれどこのまま寝てしまうとまずいので、空港で時間待ちをすることにして、ラガーディア空港に向かいます。到着したのが6時前。まだ早いけれど、とりあえずチェックインだけでもと思ったら、コンチネンタル733便は天候不良のためキャンセルとなったといいます。
米国の国内では突然のキャンセルや変更は日常茶飯事。しかし、ヒューストン経由の国際線なので、焦って何とかしてほしいと交渉した上、6時08分発ヒューストン行きコンチネンタル633便を確保してもらい、間に会えばという条件でラガーディアのゲート「A3」へ走って向かいました。
これに間に会わなければ、イベントまでに帰国できないのでがんばりました。ゲートA3へ到着した時には6時10分過ぎで汗まみれ。なんとかファイナルコールを終えて締めかけたドアに滑り込みです。安堵の想いで、19Cの座席に体を滑り込ませると、寝不足もあったので、そのまますぐに眠ってしまいます。ヒューストンに着地する振動で瞬間に目がさめました。熟睡していました。
さてさて、またこれからトランジットです。しかし、いつまでたってもドアが開きません。通常であればしばらくするとドアが開くのですが、到着したにもかかわらず、ドアが開きません。それにしても長い…。その間、何もアナウンスがありません。約30分間は足止めになっていたようです…。
朝9時すぎになってからようやく機内でアナウンスがありました。「ハイジャック…ワールドトレードセンター…クラッシュ…」しか聞きとれません。しばらくして、アナウンスが終わってから、機内でどよめきが起こりました。数人が一斉に携帯電話をかけます。携帯電話の情報が口伝えにアップグレードされていきます。
事件の状態が序々に明らかになってきました。携帯電話というメディアはこの時、バイラルニュースとしても使えると感じました。ABCでは、CNNでは、ウオールストリートでは、と他地点での情報が集約されます。間もなくして、「この機は問題がないので、これから降りていただきます」という旨のアナウンスがあってようやく機を降りました。
飛行中にはとても「ハイジャック」とはいえなかったのでしょうね。とりあえずゲートを越えて、近くのテレビの前へ向かいました。そこにはハリウッドの最新パニック映画かと目を疑うような映像が…。
もしも633便に間にあわなかったら、いまだにニューヨークでした。取材者的には残念な気もしたのですが、結果的にはラッキーでした。なぜならば、間にあわず733便がキャンセルだとしたら、ヒューストン経由は一日一便なので、翌日の予約だけを入れて、ニュースを聞くや直ぐにワールドトレードセンターにタクシーを飛ばしていたことでしょう。
たくさんの救助隊やメディアが倒壊の時には巻き込まれていたので、この中の一人になっていた可能性は非常に高かったと思います。亡くなった方の分までこの命の意味を考えてみたいと思います。
●シェルター(待避所)暮らしをしばらくして、空港を閉鎖するという事で、バゲッジクライムに荷物を引き上げに行きますが、そこはもう無秩序に荷物が溜まっていました。自分の荷物を探すのですが、次から次と降り立つ荷物が続き、預り証の控えもあるので、身軽な状態でヒューストン空港を取材することにしました。
とにかくこれからどうなるのかがわからないまま空港が閉鎖で、「今日は飛ばないと思う。家へ帰りなさい。ホテルを取ったほうがいい」という憶測だけの情報がとびます。とにかく、飛ぶ可能性がある以上、空港で待ちたいと最後までねばりましたが、その結果、昼すぎにはヒューストン市内のホテルが全部満杯となってしまっていました。
「明日(現地時間で12日)までは飛ばない」という米連邦航空局(FAA http://www.faa.gov)の情報を得て、空港居残り組は、コンチネンタルが手配してくれた米赤十字(American RedCross http://www.redcross.org/)のシェルター(待避所)に移動するといいます。
シェルターといっても、ハイアットホテルのボールルーム(多目的会議室)には、すでに100人規模のヒスパニックのツアーの人たちが退避していました。とりあえず、枕と毛布が配布され、プロジェクターに写しだされたCNNを見入ります。
しばらくして、赤十字の簡易のベッドが届き組み立てられ、それぞれの場所にセットアップします。この状況は、かつての阪神大震災の避難所の様相に非常に似てきました。被害のあったニューヨークには及ばないものの、このままもしかして戦争になるのではと思うと、こちらも気が気でありません。ネットの接続ができないので、国際電話でニューヨークから移動していることだけ会社関係に伝えます。
ロサンゼルス地震の時も阪神大震災の時もそうですが、現場の生々しい映像が、過剰な心配や憶測を生んでしまうからです。早く安全な情報を送らなければMLなどで捜索がはじまってしまいます。こんな時にこそ、メディアでも、その地域でも安全な場所がある事や、無事なことや安全な情報を報道すべきなのです。
事件を報道するから報道の価値があるように思われがちですが、その事件の関連する被害にあっている人たちにとっては、事件の状況をライブで困っていることを伝えられても意味がありません。安全な場所やどこに行けば安心できるのかという情報を一番必要としています。
メディアから飛び込んでくる情報には、自分ではどうすることもできない情報ばかりで、心配を募らせるような内容ばかりなのは日本もアメリカも一緒でした。今後は、そういうコンセプトのニュース局を作ってもらいたいと強く願います。
意外だったのはヒスパニックのツアーの人たちが、きわめて冷静だったことです。というか、楽観的だったのかもしれません。夜にはCNNはもう飽きたからヒスパニックの番組が見たいとチャンネルを変えはじめる始末。アナウンスも英語、ヒスパニック、最初は日本人ツアーがいたので日本語。しかし、翌日から日本人ツアーは別のホテルを確保できたらしく移動してからは、ヒスパニックの情報ばかりで、英語もおぼつかないのです。
これから米国で暮らすにはスペイン語も勉強しなければならないと痛感しました。ヒスパニックの災害情報番組でも今回の事件の凄さは伝わりますが、いつまでこの生活がと思うと、とても辛い日々です。
一夜明かして、12日赤十字がホテルの部屋を2部屋借りてシャワールームを確保しましたという旨を伝えてくれました。100人で2部屋のシャワールームです。3時間待って自分の順番が回ってきました。赤十字が洗面キットを供給してくれます。こんなキットまであるんですね。
寄付の基金だけでなくこのようなグッズを割高に販売して、基金にあてる方法もありかなと思いました。デザインもいいです。しかし、廊下から中に入ってびっくり! これがホテルのシャワールームかというありさまです。髪の毛がつまって流れないバスタブ。濡れて使い果されたバスタオルの山。バスタブがつまると苦情をいうと、後でなんとかするからとりあえず、時間がないからシャワーしろとの事。
むなしい気分でシャワーを浴びます。こんな状態でもいくばくか気分はリフレッシュできました。シェルターの中ではノートパソコンを出すわけにもいかず、高額商品を持っていることを知られたくなく、スペイン語のテレビも見ているワケにもいかず、電話も20分待ちなので、モールにバスが出るというので、思わずそれに乗って出かけてきました。ダウンタウンに行きたいとリクエストをしたのですが、ダウンタウンはヒューストンから20キロも離れているので、行くことができないとのことです。
モールについても、アメリカのどこにでもあるモールでGAPやメイシーズを見ても仕方がないので、映画を見ることにしました。4時をすぎると、テキサス州では映画代金が3ドルになります。「Rock Star」と「Jeepers Creepers」を2本見ました。それでもまだ帰りのバスまで時間があります。「Rock Star」はロックバンドをやっている人には何度もうなづけるイイ映画でした。「Jeepers Creepers」は、前半がよかったのですが残念なB級ホラーでした。
映画の話はまた次回。モールに迎えのバスが来てシェルターに戻ります。飛行機の発着情報をコンチネンタルの担当に聞きますが、来週の火曜日9月18日なら予約が取れる、もしくはスタンバイしかないといいます。もちろんスタンバイで待ちます。なんとか日本に帰りたい。
ホテルの中では、BARがあるだけで、レストランもバフェが中心で、たったそれだけです。ビジネスセンターは昼の4時で終了。いつも長蛇です。ノートパソコンを見つからないように持ち出し、しばし状況を打ち込んでから、長蛇の列の公衆電話の電線につないでアクセスします。
AOLの1-800でヒューストンを探し、またテレフォンカードのナンバーを打ち込んでヒューストンのAOLにアクセスします。後ろの並ぶ列を気にしながら、メールをPOPしている間にWEBにコピー&ペースト。
主催しているイベントのインビテーションメールを送信簿に…。とりあえずメールをすくって、後ろの列に並んでいる間に返事を書いて、また送信。それを何度かくりかえします。普段、専用線で慣れてしまった体には、立ったままでの公衆電話でのPPPはストレス以外のなにものでもありません。
ニューヨークの映像でアメリカ中がなんともいえないストレスを感じているのと同様に、旅行していながら、どこにもいけない不憫な思いをさせる今回のテロに対する憎しみがわいてきます。夜になってから確認すると明日は飛ぶかもしれないとのこと。
●ないないづくし13日(木)になり、国内線が飛びはじめました。日本へはダイレクトに飛ぶのは12時のコンチネンタル007便しかありません。ダメもとで空港へ赤十字にお願いして運んでもらいます(タクシーなど走ってませんから…)が、やはりダメでした。国際線は来週になっても飛ばないかもしれないという情報も流れます。…かと思えば、明日は飛ぶだろうという情報も…。本日、日本に飛べればイベント関連にも穴が開かないのですが、これがわかった時点でメールします。個別に情報を送るよりも、はるかに手早いので2chにも送っていたのですが、メゲル書き込みが続いていました。
当然覚悟の上なのですが、なんだかなって感じです。またモールに行くバスがあったので乗り込みます。この日は3本映画を見ました。それでも、まだまだ時間があります。その日の夜、ヒスパニックの団体は、グレイハウンドという陸路のバスで2日間かけてカリフォルニアに移動するといいます。
一緒にカリフォルニアに行こうと誘われます。一瞬、ここにいるよりはその方がいいと思いましたが、そこからのチケットを考えると、今もっている直行便の方が有利なのです。事件以降、国際線のチケットが取り難いという状況が続いていたからです。ヒスパニックが出たあと、しばらくしてこのシェルターが閉鎖されると案内されました。
空港近くのマリオットホテルのシェルターに移るとのことで、移動しました。こちらはさらに多く300人近くいます。ここからは空港に近いので、毎日これで空港に行くことができると思うと嬉しくなりました。その夜、米国内線が飛び立っていく姿をようやく見ることができました。
それをホテルの外で眺めていると、映画「E.T.」が星を眺めて指差すように、飛行機をずっと眺めてしまいました。仕事もできない、することがない、何もできない、いつ戻れるのかもわからない。こんな辛い時間はありませんでした。
いっそのことニューヨークにいた方が、よかったのかもと思います。イベント関係者の方々、穴を空けてしまってすいませんでした。ロスに行くか、シアトル、もしくは陸路でカナダを経由して国際線とかいろいろ頭をよぎります。黒人の巨漢の間にはさまれて、猛烈なイビキに眠れないまま、翌14日(金)になりました。
本日ダメなら、ダウンタウンにでも行ってみようと思いました。すると本日飛べるという情報が…。しかし、シェルターでは国際線は飛ばないと言い切っています。しかし、確認するにも空港が近いので、いってみます。国際線がようやくオープンし、予約のある人だけは乗せるといいます。
予約があるったって、ボクは11日(火)から飛び続けたままなのに、それ以降の予約を優先するのはおかしいとクレームを述べます。アメリカでは黙っていては、意思がないものと思われます。言いたいことは、言わなければなりません。日本のようにわかってもらえるなんて思っていたらいつまでたってもわかってもらえません。そんなこんなで、ようやくスタンバイのボーディングパスを勝ち取って、シェルターにラゲッジを取りに帰ります。
何人かの言葉の通じない名前しかわからない二度と会うことのないだろうアミーゴたちに「さよなら」をいって飛行場に再び向かいます。コンチネンタル007の成田行きにはたくさんの日本人が集い、今回の旅もこれで終わりという少し安堵感につつまれています。
爪きりもヒゲソリも機内持込みできないというアナウンスがありました。もちろん、日本に帰れるならなんでもOKです。実際に搭乗のアナウンスがあっても、何度も発着許可がおりないと搭乗が中止になったりします。それもやっと解除されて、機内に乗ってからも1時間以上も飛びません。
荷物を全部もってきたのにこれで降ろされたら本当についてない…と思いはじめた頃。ようやく離陸体制にはいれるとのこと。機内で歓声がわきました。飛行機が加速をはじめてGを感じ、窓の景色が45度に傾きはじめてようやく、脱出することができた事を実感しました。
ニューヨークでもなく、日本でもないところで、国籍がちがう、言葉が違うという状態で最悪の戦争にまきこまれるという事態からは逃がれましたが、日本に帰ってからテレビやネットで事態の状況が把握できてからも、ボク以外にもいろんな所で、苦労している人がいるだろうと簡単に推測できます。
間もなく、アメリカが「見えない敵」に向けてリベンジするようですが、リベンジの攻撃がさらなる不幸を生む可能性が多いと思うのです。ワールドトレードセンターの惨事は人的な惨事でしたが、これ以上に人的な惨事を繰り広げることには反対です。ニューヨークには戦前からの建物がたくさんあります。
第二次世界大戦で破壊されていないので、数百年前のビルを改修して今でも快適に生活できます。戦争で負けるという気はアメリカにいればまったく感じないことでしょう。アメリカでは国旗が売れているようですが、ベトナムでも痛手を受けた事を再度思い出す必要があります。
湾岸戦争に家族が参戦している間のことを思い出してください。テロに対して、戦争に対してこれほどまでに世界が関心を寄せている今だからこそ、平和を築くためには何をなすべきかを静かに考えるべきなのではないでしょうか。テロをする人たちとの目的との和解ポイントは本当にないものなのでしょうか。
相手は死をも超越した強い意思の持ち主です。武力よりも相手を理解し、互いに干渉しない戦術が講じられないのでしょうか。今回はいろんな意味で戦争に対して考える時間が持てた旅でもありました。そして、日本に帰ってくるのがこんなにも大変だった旅もはじめてでした。