「リア充」から「ぼっち充」へ「ひとりディズニーランド」の理由は?

次から次へと新しいコトバが…というか、コトバを発明し、消費していかなければ、時代を表現できない。

「リア充」はむしろ、リアルでしか楽しめない情弱をネット民が卑下するコトバだったのではないだろうか?

そして、今度の「ぼっち充」こそ、ネット民の本音が見え隠れする。基本的に同調圧力そのものに、背をむけて、自分の好きなようにやる。当然、そこにあるのは「リア充」なのだが、「ひとりぼっち」でありながらの「リア充」なのである。

たとえば、映画なども一人で「ぼっち充」音楽もテレビも「ぼっち充」。パチンコも「ぼっち充」。

最大の「ぼっち充」は読書だろう。「リア充」と「ぼっち充」の最大の違いは読書量だと思う。自分との対峙を楽しむのが「ぼっち充」。
オタクにはその素養があるし、オタクの本質は「ぼっち充」なのだ。

ディズニーランドで「ぼっち」で、楽しんでいるのをSNSで共有するというのは、わからない気もしない。
しかし、ゴルフやスキーなどの「ぼっち」では成立しない。
ストイックな練習ではなく、本番も練習も「ぼっち」で楽しめるのが「ぼっち充」だ。

「ソロ充」「おひとりさま」との違いは?
ボッチ充とソロ充との最大の違いは「友達の数」である。ソロ充は友達がいるが、ボッチ充は友達の数が「ゼロ」である。
http://matome.naver.jp/odai/2140624343132554901

今、「ぼっち」と「リア充」という若者を表す言葉が話題を呼んでいます。「ぼっち」という言葉なんですけれども、これはひとりぼっちの略です。今の若い人達は友達関係を過剰に重視するようになっていて、特にひとりぼっちになることを嫌がるということで話題を浴びていますと。若者がいかにひとりぼっちを嫌っているかを示す言葉として「便所飯」という言葉も話題になっています。これは「ランチメイト症候群」とも言い、ランチを食べる相手がおらず、ひとりぼっちでいることを周りに見られるのが嫌な若者が、お弁当箱をトイレに持ち込んで一人で食べるという変わった現象で、様々な大学などで見られるようになっているようです。一方、この「ぼっち」とは間逆に近い言葉として「リア充」という言葉も注目を浴びています。このリア充とは、リアルつまり現実の生活が充実している人のことを指す掲示板の、インターネット掲示板の2ちゃんねる発祥の言葉です。簡単に言えば、異性も含めたたくさんの友達と楽しそうに生活している若者のことを「リア充」というようになっているんです。これは「リア充」になれない人の「リア充」の人達への嫉妬からできた言葉という風に言われています。
(中略)
ここ数年、事実若者に限らず、おひとりさま向けサービスとして、“ひとり焼き肉”であったり、“ひとりカラオケ専門店”などのお店ができ、メディアで多くの注目を呼んでいますと。ところが、けっこう前からですね、この「リア充」同調圧力に怯えない、ひとりぼっち状態を楽しむ若者達が実は、一人行動っていうのをもう既に行っているんですね。例えば、“ひとりディズニーランド”というのが今、一部の若者の間で流行っています。これはですね、みんなでディズニーランドに行ってしまうと集団行動を取らなきゃいけなくて、この時間にパレードを見に行かなきゃいけない、この時間にお土産を買わなきゃいけない、非常に拘束力が強いので、本当は自分の好きなディズニーランドの楽しみ方をしたい、つまり「リア充」タイプのディズニーランドの楽しみ方をしたくないと、「ぼっち」タイプのディズニーランドの楽しみ方をしたいという子達が一人でディズニーランドに行って楽しむというケースが増えてるんですね。
博報堂ブランドデザイン若者研究所リーダー 原田曜平
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/193749.html

近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」原田曜平

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