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オタク、ヤンキー、ミーハー、違いは卒業するかしないか

D4DR藤元健太郎さんと会食していた時のメモ

故・ナンシー関さんの残した言葉
「日本人の三大気質はヤンキー、ミーハー、オタクである」

最初、あまり三大気質に、納得できなかったのだが、藤元さん曰く、「オタクとヤンキーは卒業しないが、ミーハーは卒業するんですよ」に、すごく触発された。

ボクたちの世代は、「ミーハー6割 ヤンキー3割 オタク1割」 くらいだった。しかし、現代は、 「オタク6割 ヤンキー3割 ミーハー1割」 くらいに感じる。

すでに「オタク」はマイノリティーではなくメジャーでマスへと進化した。フィギュアにアニメは重要産業となりつつある。かつて、マンガやフィギュアは時間が経過すると卒業するものだったが、もはや熟年の鉄道模型のように趣味人として社会に通用する。

そして、ヤンキーは地元・郷土を愛し、イオンスーパーとカラオケとパチンコという限られた生態系の中でも生息していくことができる。都心を必要としていない。

そして、ミーハーだが、サーフィンやテニスが流行すると、一気に丘サーファーに、テニスルックとファッション関連産業が潤ってきた。
雑誌のPopeyeに代表されるカタログ雑誌が西海岸のUCLA特集で大学を席捲していた。ブランドにこだわりを持ったり、クリスマスのディナーの予約合戦に参加する。

しかし、そんなミーハーはどこにいってしまったのだろう?
そう、卒業してしまったのだ。

オタク、ヤンキーは生息してしまったのだが、ミーハーはまさに卒業してしまい、滅亡の危機に瀕している。

しかし、経済を牽引してきたミーハーの経済力は、熟年富裕層の購買行動と合致している。かつてのミーハー論をマーケティングしていくことによって、熟年・富裕層を取り込むことが可能となりそうだ。

卒業したミーハー層を、どうやって再度、引き戻し、ネオ・ミーハー層化するかが問題だ。

ミーハーの頃の楽しさが享受できるトリガーとなる文化が必要だ。

「本来が不良社会のものであるヤンキー文化は必然的にその担い手が社会の下層に集中してしまうので、「知識人」としての評論家や研究者が生まれてくる余地がなかったのだ。」(暮沢剛巳)

「すなわちモノを言わない大衆である。日本の地方を下支えする文化なのかも知れない。彼らは上京するよりも、地方に根づく。そして良きパパ、ママとなる。筆者の個人的体験から言っても、地方から東京に移り、学歴が上にいくほど、まわりのヤンキー濃度は確実に減っていった。おそらく上京した研究者からは、かつて隣にあったおぞましいものとして無視されている。東京のメディアから情報発信することがない文化。これは見過ごされ、抑圧された日本精神の無意識である。したがって、ヤンキーを考えることは東京なき日本論につながるかもしれない。」(五十嵐太郎)

構造的にメディアの代弁者を持たず、インテリによる社会学の研究対象からも敢えてはずされてきた。だが彼らは分母としては巨大だ。ナンシー関は日本人の5割がヤンキー的なものを必要としていると推定した。「成熟と洗練の拒否」「体制への反抗・地域への順応」「民衆のゴシック」であるヤンキーは実は日本のサイレントマジョリティなのである。

ヤンキー文化論序説
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-951.html

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