現代の蓄音機としての『インターネット』とラジオとしての『YouTube』

 

GRAMMY

『グラミー賞』のグラミーとは、エミール・ベルリナーの発明したグラモフォンから命名された。当初はグラモフォン・アウォード(Gramophone Award)1959年5月4日。今から[my-age birthday=”19590504″]年前だ。

 

『YouTube動画』の世界は、蓄音機とラジオが登場するまでの19世紀の音楽業界と酷似している。

■1877年、『蓄音機』の発明以前

それまで『音楽』はプロの生演奏を聞いて楽しむものであった。そうレコード(録音)された音楽は存在しなかったからだ。
アマチュアは、楽譜を買って、自分でピアノを練習するしか方法がなかった。

そう、ジョージ・ガーシュウィンの時代まで音楽は楽譜を売るビジネスモデルしかなかったのだ。

ジョージ・ガーシュインの音楽ビジネスモデル

■1887年、『グラモフォン』登場

 

エジソンの蓄音機『フォノグラフ(1877年)』は、遺言を録音するために発明された。それを、エジソンのライバルのグラハム・ベルに仕えていた『エミール・ベルリナー』は音楽を再生するために改良し、エジソンの蓄音機発明の10年後にレコードプレーヤーの原型の『グラモフォン(1887年)』を発明する。
エジソンの録音用の瘻管(ろうかん)は、フラットなディスクとなり、録音よりも、むしろ再生専用のスタンパーで量産を可能とした。人々は『録音』よりも『再生』を楽しんだのだ。

エミール・ベルリナー

フラットになったレコードディスクは、裏表を使えるようになり、A面、B面というカテゴリーまで生んだ。のちの『グラミー賞』はグラモフォンの愛称であったグラミーから音楽の最高賞となった。
『グラモフォン』の登場で、音楽は誰かがピアノを弾かなくても、自由に音楽をいつでもどこでも安価に聴けるようになった。
1895年 ベルリナーは、ベルリーナグラモフォンを設立、
1901年にエルドリッジ・R・ジョンソンが設立したビクタートーキングマシン社の母体(日本法人の日本ビクターは1927年)となる。また、英グラモフォン(現・英EMI、英HMV)の母体となった。

そして、まったく音楽とは無関係なマルコーニの『無線技術』によってモールス信号は空を超え、タイタニックの海難事故(1912年)にモールス無線『SOS』の信号で人命を救った。

「メディア30年説」レコード市場ができるまでは、音楽ビジネスのメインストリームは楽譜の販売だった

■1914年、ビルボードが音楽(1914年)チャートランキングを発表

『グラモフォン(1887年)』のレコード誕生から27年後、印刷メディアの『ビルボード(1914年)』が全米ポピュラー・ソングチャートを紙媒体で情報提供を開始する。レコードを何層も重ねた、課金システムを持った『Automated Musical Instrument Company(AMI)社』の『ジュークボックス(1927年)』と共に、『ヒットチャート』という文化を発明する。

■1920年、アメリカ・ピッツバーグのKDKA局が商業放送(大統領選速報)を開始

さらに『グラモフォン(1887年)』から33年後の『1920年』。無線通信会社のマルコーニが米国に吸収され後の『RCA』となり、アメリカ・ピッツバーグのKDKA局が商業放送(大統領選速報1920年)を開始する。そして、音楽がラジオから流れるようになった。しかし、最初は音楽の権利関係が難航するが、レコードの音楽を広告によって無料で放送するというビジネスモデルが誕生する。

レコード業界は、ラジオのヒットチャートに登れば、同時に売れ行きが上がるという相関効果を見つけることができた。

ビルボードのヒットチャートは強力なラジオのコンテンツとなった。

そして、いつ楽曲がかかるかわからないラジオでヒットチャートを確認してから、レコードを買ったり、当時のモバイル機器である『ジュークボックス(1927年)』で音楽を共有したのであった。

また、同時期、『ブラウン管テレビ(1926年)』の送信実験を高柳健次郎が開発し、映画『ジャズシンガー(1927年)』によって映画にも音楽と同期する『トーキー』が生まれ、翌年20世紀の技術とコンテンツが融合していき現在のメディアを形成していく。

■インターネットが『蓄音機』とすれば、ラジオは『YouTube』

蓄音機の誕生から100周年は1977年、その10年前、インターネットの祖先にあたる「ARPANET (Advanced Research Agency Network1967年)」が誕生する。
そして、ラジオの商業放送100周年となるのが2020年、ネット上の『YouTube』のような動画プラットフォームが新たにテレビを追い抜こうとしている。

蓄音機と、映画、音楽が結びつき、その後の『テレビ(1926年)』や『トーキー映画(1927年)』の普及によって20世紀最大のメディアが形成されたように、『21世紀のラジオであるYouTube』は、21世紀の最大のメディアの萌芽のような気がしてならない。
2026年〜27年は、テレビやトーキー映画から100年だ。 これからの10年、5GとAIの本格時代の波と共に、ちょうど100年前の20世紀メディアのデジタル化が進むことだろう。

 

 

人類と火とメディアの歴史

講演資料「オープン思考のデジタル・ビジネスモデル」

【資料】メディアネイティブ年表