【映画】「コレクター」ウィリアム・ワイラー監督 監禁するものとの関係性 犯罪心理を知る映画

15歳女子、2年ぶり保護 「監禁のような状態だった」
http://www.asahi.com/articles/ASJ3W4ST9J3WUTNB00C.html

少女はなぜ逃げ出せなかったのだろう?大声をあげることができなかったのか?
いくつもの疑問が残るが、それは、少女にはできなかったのだろう…。

少女監禁事件で想い出した…映画がある。

ウイリアム・ワイラー監督の 『コレクター(The Collctor)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/コレクター_(1965年の映画)

『ローマの休日』『大いなる西部』『ベン・ハー』といった作品を撮ってきた監督しては異色のサスペンス映画だった。

「監禁モノ映画」とジャンルを別けると、低俗なB級映画が多いが、この作品には、どこか狂った美学が存在する。だからさらに怖いのだ…。

テレンス・スタンプとサマンサ・エッガーの、ほぼ2人だけの監禁生活でのやり取りのサスペンス。何度も脱出を試みるサマンサ・エッガーと、それを何度も許し、関係修復を試みるサイコのテレンス・スタンプ。

卑劣な誘拐監禁だけれども、小心でコミュニケーション表現を持たない若者にとっては、これが唯一のコミュニケーション手法であることがわかる。異常心理でありながらも、観客を犯罪者側への心理へと導く…。

監禁された女性からすると、世の中のすべてが監禁者の管理下に置かれてしまう。圧倒的な上下関係。従わないと生死にかかわる状況においての監禁者は絶対的な存在。脱出行為は、失敗すると強力な罰へと変わる。リスクの高い行為だ。むしろ、監禁者が望む関係性を維持することが一番リスクが少ない。

その異常な監禁者との関係をこの映画はよく表している。オスの持つ特有の収集癖と完全なる支配欲の権化。社会性を伴えないモノの密かな理想のパラダイスが監禁という手段だった。

ネガティブに屈折する精神状態においての犯罪のゆくえは…。いくつか脱出のチャンスがあるにもかかわらず…。だが、脱出のリスクを覚悟できる人はとても少ないだろうことがこの映画を見ているとよくわかる。抵抗さえしなければ、生きることができるからだ。また、地域とのコミュニケーションというのも疎遠である現在においてはいつでも起こりうる犯罪ケースでもあることがよくわかる。

テレンス・スタンプ

サマンサ・エッガー

コレクター (字幕版)