後藤健二さんの著作を見れば見るほど、戦場から希望を届けるという難しいジャンルに挑戦されていることがよくわかる。
ボクは戦場に行くことはほとんどなかったけれども、一度現地に行ってみると、報道されていることとの温度差を非常に感じた。
それ以来、報道を真に受けずに必ず、疑ってかかるようになった。
特に戦争報道は自国にとって都合の良い情報を流すのは、過去の歴史を見てもあきらかだ。そして国民はいつの時代も騙される。
自己責任は百もわかった上のこと。
後藤さんは、平和的な解決を望んでいるだろうし、万一のことがあってもシリアの人たちを責めないでくださいという。
万一のことがあっても誰も責めないようにしようではないか…。
無事を祈る…。
2004年のイラクのバグダッド、日本の自衛隊が来た時に、ボクはバグダッドにいた。
たった、先発の20人の自衛隊に、日本からの総勢200人ものメディアが包囲しているのは、バカバカしい光景であった。
ヨルダンのアンマンで、日本から送られたバグダッドのニュースの日本語翻訳原稿を、FAXで受け取り、国際電話のディレクターの指示で原稿を読み上げる現場アナウンサー。アンマンからバグダッドは600km以上離れている。
「こちらアンマンからです。バグダッドでは本日は… 」
東京で読んでも同じことだけど、現場感というまさに造られたリアリティだらけだった。
そう、アンマンとバグダッドは600kmも離れていて、安全な場所だ。そんなところで一体何がわかるんだろう…。護衛だらけで守れた大手メディアのジャーナリスト。米軍のガイドに守られ、米軍に都合のいいところばかり案内される日本のメディア。
そんな情報をボクたちは、現場の最新レポートとして受け取る。
大手メディアは、保険と組合があるので、戦地に入れない。だからそこに、命知らずのジャーナリストの自己責任な行動が必要なのだ。
しかし、伝えたい平和で希望に見えたニュースはどこのメディアも買ってはくれない。だからショッキングな映像の中に平和と安全を織り交ぜるしかない。
安全で平和なニュースは、ネタにもカネにもならない戦場でのジャーナリストという職業。この仕事は、本当に過酷だ。
2004年の昔の記事をあらためて読み返してみた…。
KNNポール神田@バグダッドです。
2004年1 月30日 (金曜日)
みなさん、大変ごぶさたしております。昨年から日本を離れて、ピースボートの船にのせていただき、インド、ヨルダン経由でイラクのバグダッドにはいりました。
日本のテレビやメディアの情報をまったくみていないので、「情報浦島太郎」状態なのですが、バグダッドの近況報告を
させていただきます。
現地のクルド人などの情報筋によれば、フセイン逮捕劇は、
アメリカの情報操作がかなりなされているようです(この情報もどこまで信じていいのかですが笑)。
フセイン氏は、穴の中にいたのではなく、クルド人がとある家で捕まえたそうです。また、彼らがいうには、ビンラディン氏は、持病でかなり前になくなっているそうですが、アメリカはうまく生きているように利用しているともいいます。
これもどこまで信じていいのか理解しかねますが、ニュース報道を鵜呑みにするのではなく、疑ってかかるというのも非常に重要なリテラシーかもしれません。
また、日本のyahooニュースで「狂牛病」や「鳥インフルエンザ」らしきものがまたまた取り上げられており、吉野家などで、牛丼がメニュー変更するなどのことを知りました。
バグダッド入りするのにタイでも、鳥は何の規制もされておりません。狂牛病の牛を半額以下で提供するようなところがあっても、いいと思うのですが、どうでしょうか?
このバグダッドでも「劣化ウラン弾」
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/UMRC/du_human_effect.htm
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/uran/tokushu/index2.html
のことで被爆する恐れがあると、いいますがそれをいちいち気にしていては取材になりません。
また、イラクでの自爆テロよりも東京都内の車による死亡事故のほうが多いのも事実ですが、とりあげれることはありません。
しかし、ヨルダンからイラクに入りましたが、国境付近の米兵の護衛は5〜6人の小集団であまり機能していません。夜間になると、さらにナーバスでビデオを向けるだけで、かなりエキサイトしています。自爆テロの脅威は、きっと人数よりも米兵への心理戦略なのかもしれないとおもいました。
こちらのホテルでは、イラクの新政権ディナールよりも、USダラーに価値があり、貨幣価値は、あまりフセイン政権での旧札の扱いとかわりありません。停電もしばしばあり、電力が安定しておらず、いつも自家発電ジェネレーターで動いています。その音がまた馬鹿でかく眠りになかなかつけません。
夜の8時以降は、かなり強盗とかも多いので、現地の人も恐れているようです。夜間で一番怖いのは、ナーバスな米兵の自動小銃のほうかもしれません。ボクがニコニコ近寄っているにもかかわらず、「フリーズ!」という声で威嚇します。あと数歩近寄ると、威嚇射撃でもしかねない状態です。
それよりも、酒の飲めるバーなどがイスラム圏では少なく、夜の8時以降は、とても退屈でたまりません。
世界の金のあるメディア陣は、完全24時間護衛つきのパレスティナホテルに滞在し、フリーランスの我々だけが、民間のホテルでイラク人とともに、生活しています。でも、バグダッドには日本のメディアにはすでに人気が落ちており、主力メディアのほとんどが、日本の自衛隊取材のためにサモワ入りしているようです。
今回はメディア報道のされ方をサーベイするために現地入りしていますが、イラクは思った以上に平和で、阪神大震災の被害から比べると、比較にならないほど被害も少ないように見えます。
米国の計画的な砲撃は、狙ったビルだけを破壊しており、イスラム教のモスクなどは、破壊せずに国民性を考えた攻撃をしているようです。
また、戦争慣れしているイラクの国民性らしく、きわめて平常時のようにイラク国民は生活しているように見えます。むしろ、経済制裁時から比較しても物資ははるかに増えており、戦争で注目されていることが、イラク国民においては、国益になっているのかもしれません。
わが国の自衛隊は、本当に「何しにイラクに来るの?」と質問したいくらいです。
いろいろなメディアで客観的といわれる報道がおこなわれていると思いますが、ボクの主観と偏見に満ちた報道も、情報ソースのひとつとして、今回の自衛隊イラク派遣について考えていただければと思います。
http://www.asahi.com/national/update/0128/021.html
こんな記事もありますが、車に乗っている日本人を判明するのはむずかしく、日本人だけでなく、英国も韓国も一緒の扱いをしてほしいものです。
夜間に一人であるいていても、テンガロンと赤ジャケットの邦人は、まったく問題がありません。一応、バグダッド邦人のつもりなのですが…。
ヨルダンからバグダッドへ
KNNポール神田です。
一体、今日は何曜日かがわからないような生活が続いている。
スケジュールはあってないようなもの。
インドのムンバイで3日並んでも、ヨルダン行きのチケットがとれず、いったん、タイのバンコクまでもどり、カオサン通りの安宿街でチケットを取ると、翌日に簡単に取れてしまい。安宿をキャンセルして、ヨルダンに到着!
ヨルダンにつくやいなや、とても寒くて、半ズボンにサンダル履きをさっそく着替える。いきなりカバンを持ち、あれやこれやと世話をやいてくれるが、チップのおねだり攻撃が始まった。アラブ圏にはいると、これまでの東南アジアの様相と雰囲気がガラリと変わる。
乗り合いバスでアンマン市街地へと向かう。バスの中では、コーラン(お経のようなもの)の歌が鳴り響き、早くもi-podでコーランの歌を阻止する。i-podは旅の強力なツールだ。
やはりいたイラク入りする日本人のプレスと合流して彼らの予約している安宿へ向かう。途中で両替すると一万円がたったの52ヨルダンディナールに化けてしまう。すごくさみしい感じだ。しかし、物価は安いので、ちょっと安心。手袋と帽子とセーターを買って、8ディナール。
ホムスというチックピースという豆のペーストとナンに似たピーターブレッド、そしてシシカバブとコーラで約2ディナール。インドに比べると高いが、食費も安い。モスリム(イスラム圏)であるが、酒を飲める場所は密かにいっぱい存在
している。
頭に独特のかぶりものをしながら、水パイプを吸い、かくれてビールを飲んでいる彼らの宗教観はなんなんだろう?当然、女性は旅行者しかいない。
ヨルダンでは、外を歩く女性は、ほとんど、布で頭を隠している。とても神秘的である。外のレストランでは、ひげもじゃの男同士が大声でいつもたむろっている。女性はその場にはほとんどいない。
このヨルダンでは、女性は家にいて家庭を守るのが最大の仕事らしく、外を歩くときには、肌や顔をできるだけ露出しないそうだ。しかし、市場にはエロチックな女性用の下着がたくさん販売されている。しかるに、外で鬱積していることが、家では相当にいやらしいことをしている国民性なのかもしれない。
街角では、ニセモノDVDが1ディナールで販売される約175円。東南アジアとほぼいっしょだ。「タイムライン」と「キルビル」と「スクールオブロック」をお土産に買ってみた。まともなのは「キルビル」のみで「タイムライン」は映画館で撮影したもので、前の男の頭が時々、動く(笑)。不思議なもので、映画館で見ているような気になる。ノイズもひどい。「スクールオブロック」は2枚組みのCD-ROMに焼かれたもので、コマ落ちもひどくとても見れたものではなかった。
ヨルダンで一泊すると、夜にプライベートリムジンでバグダッド行きがチャーターできた。80ディナール。3人で割ると1000キロ近くある片道なのにとても安い。
バスだと24時間だが、リムジンでいくと15時間くらいだそうだ。
さて、22時になった。出発だ。アラビア語でなんだかドライバーとホテルのエージェントがいいあらそっている。なんだか80ディナールを前金でないといけないそうだ。そんな理不尽な話しはない。結局、いろいろと討議をかさね。半額前金。
半額はバグダッド到着後ということになった。いつも中東アラブ圏ではこのような交渉ごとにまきこまれるので面倒くさい。
プロレスラーのタイガージェットシンを太らせたドライバーとプレス3人を乗せたリムジンという名の単なるシボレーは、アンマンをスタートしたのは11時ちかくだった。一時間もしないうちに、ジェットシンはパン屋にのりつけ、膨大な数のピタブレッドを購入し、後ろのトランクにつみこむ。これはきっとイラクにはパンがないものと思い、僕もパンを買いこんだ。1ディナールで山ほどピタブレッドは購入できた。
夜中の2時にはヨルダンの国境に到着した。パスポートを持って、並ぶ。夜中でもかなりたくさんの人が並んでいる。税金を払って出国。いよいよここからはイラクだ。イラクに入国するとここでもパスポートを見せる。官僚的で車からオフィスにいって見せてもどってくるだけだ。
荷物のチェックもなにもない。テロリストは簡単に武器をヨルダンからイラクに持ち込むことができる。途中でアメリカ兵が2人で護衛している。手には自動小銃。さすがにアメリカのアーミーはカッコいい。ふと、小さな頃から、タミヤの模型やGIジョー、コンバットなどで、アメリカの軍服がかっこいいと刷り込まれている自分を理解した。
ジェットシンは、1時間に一度休憩するが、道路を平均150キロ、最高速は210キロほど出している。ドイツのアウトバーンよりもすごい。さすが石油の国でアスファルトは無尽蔵にある。直線の距離が地平線のまだ向こうにまで伸びる。ジェットシンが居眠り運転しないことを祈る。なんどか路肩から外れて、砂漠につっこみそうになるが、ジェットシンは時速200キロでイラクのアウトバーンをぶっ飛ばす。
朝の7時頃になると、バグダッドの西のパルージャに入った。アメリカ兵の戦車が道を封鎖。ヨルダンからの車は、道なき道を迂回して新たなバグダッドへの道を作る。
このアラブの精神はすごすぎだった。普通、通行止めであればそこでおとなしく待っているる日本人のボクにはとても彼らの行動は新鮮であった。
またしばらく行くと、戦車で封鎖。また新しい道を砂漠に作る。まるで「アラビアのロレンス」の気分だ。アメリカ兵に取材しようとすると、ビデオは厳禁で撮るなと忠告される。同盟国なのに冷たい対応。
10時になるとバグダッドに到着。黒焦げになった家や砲弾で爆破されたビルを探すが、ほとんどどこにもなし。ごく一部攻撃をされた地区をみることができるが、ほとんどが普通の状況に見える。
インドから来たせいか、インドのスラムのほうがよほどひどい状況だ。11時、テレビの報道で有名なパレスティナホテルの前に
到着する。残りの半額をジェットシンに払い、フセイン大統領の銅像が引き倒された公園前で、ようやくバグダッドにきたことを確信する。
とりあえず、今日からの安宿さがしだ。3人で手分けして、安宿を探す。「新潮」のライターの上原さんは、一ヶ月以上もこちらで滞在するそうなので真剣だ。タイから来た渡邊さんは電話があるところを、ボクはネットカフェの近所とそれぞれが宿をさがす。
とりあえず、一泊US30ドルのホテルをみつけ、そこに荷物を放り込んだ。バグダッドは電気の供給が安定しておらず、ホテルの前では強力な自家発電のジェネレーターがとてつもなく、大きな音をたてており、フロントで大声で交渉し部屋に入った。
とりあえず、お湯は5分くらい待つとでたので、シャワーをあびて、真ん中がへたんだベッドでも体を横にして休息をとるとあっという間に夕方である。あわてて赤ジャケットに身をつつみ取材活動開始。
赤ジャケットにテンガロンは街では一番目立っているらしく、誰もがしゃべりかけてくる。アラビア語はわからない…。しかし、取材するにはとても便利だ。
街角の映画館は大人気のようだ。イスラム圏でもやはり男は男で、抑制されているだけその反発は大きい。かかっている映画はアメリカのハードコアのヒット作「ディープ・スロート」だった(笑)
このインターネットカフェ(1時間2USドル)でもブックマークには、みみず文字(アラビアの文字)のブックマークが並んでいる。
バグダッドに到着して数十時間たったが、バグダッドでは、何もない戦後の1日がはじまっていた。人道支援などの意味は、このバグダッドにはないように感じる。インタビューした中では、戦争前の経済制裁のほうが物資は大変だったようだ。現在は、アメリカ兵がいるためにさらに物資が入りやすくなったという。
バグダッドの街には、バリケードにかこまれたパレスティナホテルに世界のメディアが暇そうに待機しているが、米国兵のいるグリーン地帯や刑務所などのほうにいったほうがエキサイティングなようだ。
もちろん、サモアには自衛隊がきているので、一斉にそちらに300名近い取材陣が動いているという。サモアまで南下するかどうか、ちょっと今は興味がうせてきた。このバグダッドにいても何もエキサイティングなことはないし、サモアの状況もほぼ読めてきた。自衛隊が来ても何も変わらないだろう。日本が協力したという証拠づくりのためようにしか思えない。
少なくとも、バグダッドには、物資よりも、エンターテインメント用のDVDプレイヤーをたくさんあげたほうが支援になるんではないだろうか?
日本で報道されていることと現場の日常のギャップほど面白いものはない。
インターネットでしか日本の状況はわからないが、日本のテレビでの自衛隊派兵はどのように報道しているのか興味ぶかい…。
Bagdad!!!!!!
Yesterday I was arrived at Bagdad Iraq from Jordan anman by Taxi at 11hours.
Bagdad is so peaceful now. I estimate more than sad things,but this is so peaceful than India.
Jordan and Iraq border line is so easy line. I do not have Iraq visa and Jordan visa too.
it is no problem. If I terrorist, I can bring any wepon from Jordan. because It is no function defence
Iraq border line.
in Bagdas sometimes stop to electric power ,my hotel has own electronic generator. it is so loudly noise.
I can not sleep well.
anyway Bagdad is peace and so bowling to me. a-ha.