696 Views

高田屋福店(たかだやふくみせ)神戸市兵庫区上沢通2丁目

灘五郷の酒造メーカー、金盃(きんぱい)酒造株式会社に奉公として入った
満田松治(みつだまつじ)が、のれん分けし、神戸市兵庫区上沢(かみさわ)の地に「高田屋福店(たかだやふくみせ)」を創業。
妻、満田せき と共に4人の子供、博年、喜久子、徳子、善臣をこの地で育てる。

IMG_6072

松治の長男、満田博年(ひろとし)は医学の道を目指し、尼崎に満田眼科を開業したため、松治の次女、喜久子(きくこ)が高田屋福店を継承し、婿養子として神田友治(かんだともじ)を迎え、高田屋福店二代目に襲名。

兵庫県三田市出身のパン職人あがりの神田友治の経営は、かなり異端であった。良くいうと、差別化経営だったが、それはわざわざ労を選ぶ経営だった。

キリンビールのシェアが70%とガリバーに近いのに、サントリービール専売特約店となる。得意先の料飲店はことごとく離れていく。それでも友治はサントリーを売り続けた。しかし、時代が早すぎた。友治は一度決めたことは、最後までやりぬく人であった。

酒屋なのにビールが売れない。そこで友治は、商材を大幅に変えた。「自然酒」「果実酒」「みりん」というオーガニック市場に目をつけ、1711年創業の仁井田本家の金寳自然酒、手作り果実酒、角谷文治郎商店の三州三河みりんという差別化商品で経営をおこなう。

遠方への配達などと非効率ではあったが、本物志向の客だけを相手にするという商売を続けた。

三代目の長男 敏晶(としあき)は、酒販店業を営むためにワイン業に就労するが、1990年代マルチメディア全盛時代にメディア業に転身したため、廃業となった。

祖父が創業した「高田屋福店」という屋号の酒屋らしきものを、またいつの日か再開したいと願う。