TED4 KOBEの想い出 MacPress


 

< href=”http://knn.typepad.com/knn/2012/06/ted4-kobe%E3%81%AE%E6%83%B3%E3%81%84%E5%87%BA-.html” send=”true” layout=”button_count” width=”200″ show_faces=”true” font=””>

Clip to Evernote

 

今週の2012/06/30/SAT TEDxTokyo 2012が渋谷のヒカリエホールで開催されるそうだ。
http://tedxtokyo.com/ja 

TEDxとは、TEDカンファレンスからのスピンアウトイベント。
「ideas worth spreading」 のもとに世界各地で発足しているコミュニティー。TEDの名称は使用しているが運営や人選、設営などにTED本体は関与していない。by wikipedia

また、TEDのプレゼンテーションは膨大なビデオアーカイブが公開され、それは日本語翻訳でもYouTubeから視聴される。

http://www.ted.com/translate/languages/ja

また、NHK教育では毎週月曜日「スーパープレゼンテーション」として、MIT所長でもありNewYorkTimesの取締役、CreativeCommosの伊藤穣一氏がナビゲイターを努めてTEDの映像を紹介されるように至った。

http://www.nhk.or.jp/superpresentation/

 

TEDとは、(テクノロジー、エンターテインメント、デザイン)の全世界から500名の招待者限定のカンファレンスとして1984年のモントレーで、アクセス地図で著名な情報建築家のリチャード・ソウル・ワーマンによって開催された。

TEDカンファレンスはなぜ生まれたのか?

「自分の専門領域は好奇心である」と豪語して憚らないワーマンは、さまざまな才能の持ち主が大好きで、それを一堂に集めるために「TED」の主宰を思いついたところもあるのだが、(1984年にハリー・マークスと第1回TEDを始めた)それはさまざまな才能の持ち主に、専門的な内容を目の前でインストラクションさせたい、それを同時に見てみたい、みんなにも一緒に感じてもらいたいという動機によっていた。そして、それをすぐさま分野をまたいで交換させていくことこそ、新たなビジネスの芽になるとも確信していた。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1296.html

情報の組織化に必要なのはたった5つのLATCH。

  1. 「場所」(Location)
  2. 「アルファベット」(Alphabet)
  3. 「時間」(Time)
  4. 「分野」(Category)
  5. 「階層」(Hierarchy)

初回のTEDでAppleからMacintosh SonyからはCDが発表された事もあり、このカンファレンスは世界の注目を集めるようになる。全世界からワーマン氏に招待された人しか集まれないということからも希少性の価値を持っていた。

ワーマン側の希望により、1993年に日本で、なぜか神戸で、TED4KOBEが開催されることとなった。

ボクは、神戸で世界初のMacintosh生活情報誌「MacPress」というフリーペーパーを発刊し、自らが編集長としていたので、めでたく地元と先端メディアにフォーカスしているということで、このTED4にメディアとして参加することができた。

海外組には、元アップルからビル・アトキンソンがジェネラル・マジック社のプロトタイプを初披露した。MagicCapのデモはまさに蘇ったハイパーカードであった。

ジャズ・ミュージシャンのハービー・ハンコックは神戸出身の小曽根真とNTTのISDN回線で共演するというセッションを披露する。

※どこかに、この頃の記事があったはずだ…。

などなど早々たる面々が神戸に集まった。

会場となったポートピアホテルでは、ロータス社のミッチ・ケイパーに、MITのニコラス・ネグロポンテ所長らが普通にランチ会場にいるという豪華絢爛な場となった。

日本では、松岡正剛氏の独自の世界観、元NTTの真藤恒氏の登壇がとても異色だった。

元アスキーの西和彦氏、ソニーのテレビ事業本部長の頃の出井伸之氏、アップルコンピュータジャパン大阪支社だった堀昭一氏、山根一眞氏、デジタルハリウッドを起こす前の杉山知之氏、当時、甲南女子大学の上田信行氏、後で知ったが、セカイカメラの頓智社長となる井口氏もいらしたらしい。

元アスキーの西さんは、毎日、東京を朝に出て昼のセッションから参加。そして夜には東京に戻り、翌朝の会議を終えて、このTED4KOBEに参加されていた。敬服する。西さんのとなりにいるだけで、いろんなキーマンが早口で話かけてくる。後で思えば、「エレベータピッチ」とはこのことかと思う。当時のアスキーは経営多角化で映画や飛行機会社にまで投資が進んでいた。

神戸市民として、マルチメディア関係者として、(当時はITという産業を表現する言葉がなく、マルチメディア業界と呼ばれていた)この多種多彩な人が、神戸にいるのだが、人工島のポートアイランドで軟禁されているのは、とてももったいないと思った。

ミッチ・ケイパーは神戸はシリコンバレーと良く似ていると嫌味なコメントを残してくれた。

※夜が退屈でつまらないということだ。ポートアイランドにいるからだ!

せめて、夜は北野坂のレストランやらいろんなシチュエーションを楽しんでもらうべきだったのかも…。