【書籍】『天才』石原慎太郎
ロッキード事件当時の日本の総理大臣、内閣、米国の大統領とのタイムラインの参照
当時の登場人物がこれで比較できる。
日本の歴代総理大臣
米国の歴代大統領
田中角栄(たなか・かくえい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/田中角栄
第64-65代 内閣総理大臣
|
|
---|---|
内閣 | 第1次田中角榮内閣 第2次田中角榮内閣 第2次田中角榮第1次改造内閣 第2次田中角榮第2次改造内閣 |
在任期間 | 1972年7月7日 – 1974年12月9日 |
天皇 | 昭和天皇 |
第33代 通商産業大臣
|
|
内閣 | 第3次佐藤改造内閣 |
在任期間 | 1971年7月5日 – 1972年7月7日 |
第67-69代 大蔵大臣
|
|
内閣 | 第2次池田第2次改造内閣 第2次池田第3次改造内閣 第3次池田内閣 第3次池田改造内閣 第1次佐藤内閣 |
在任期間 | 1962年7月18日 – 1965年6月3日 |
第12代 郵政大臣
|
|
内閣 | 第1次岸改造内閣 |
在任期間 | 1957年7月10日 – 1958年6月12日 |
|
|
選挙区 | 新潟県第3区 |
当選回数 | 16回 |
在任期間 | 1947年4月26日 – 1990年1月24日 |
日本の政治家
田中 たなか かくえい
|
|
---|---|
生年月日 | 1918年5月4日 |
出生地 | 日本 新潟県刈羽郡二田村 |
没年月日 | 1993年12月16日(満75歳没) |
出身校 | 二田高等小学校卒業 |
前職 | 田中土建工業社長 越後交通代表取締役社長・会長 中央工学校校長 |
所属政党 | (日本進歩党→) (民主党→) (同志クラブ→) (民主クラブ→) (民主自由党→) (自由党→) (自由民主党→) 無所属 |
称号 | 陸軍上等兵 西山町名誉町民 一級建築士 |
配偶者 | 妻・田中はな |
親族 | 長女・田中眞紀子 娘婿・田中直紀 |
第一次 田中角栄 内閣
閣僚
- 内閣総理大臣 – 田中角栄
- 法務大臣 – 郡祐一
- 外務大臣 – 大平正芳
- 大蔵大臣 – 植木庚子郎
- 文部大臣 – 稲葉修
- 厚生大臣 – 塩見俊二
- 農林大臣 – 足立篤郎
- 通商産業大臣、科学技術庁長官 – 中曽根康弘
- 運輸大臣 – 佐々木秀世
- 郵政大臣 – 田中角栄(臨時代理)/三池信(1972年7月12日-)
- 労働大臣 – 田村元
- 建設大臣、近畿圏整備長官、中部圏開発整備長官、国家公安委員会委員長、首都圏整備委員会委員長 – 木村武雄
- 自治大臣、北海道開発庁長官 – 福田一
- 内閣官房長官 – 二階堂進
- 総理府総務長官、沖縄開発庁長官 – 本名武
- 行政管理庁長官 – 浜野清吾
- 防衛庁長官 – 増原恵吉
- 経済企画庁長官 – 田中角栄(事務取扱)/有田喜一(1972年7月12日-)
- 環境庁長官 – 小山長規
- 国務大臣 – 三木武夫 (当初無任所、1972年8月29日以降副総理)
- 三池・有田は当初閣僚に指名されながらも直前の自民党総裁選で福田赳夫を支持していたことから入閣を拒否。その後、福田の説得に応じる形で入閣した。
- 三木はいわゆる無任所大臣として入閣し、8月29日にいわゆる副総理としての指名を受けた。このため、7月7日の認証官任命式及び官報掲載辞令での国務大臣としての序列は最後となっているが、同年12月22日の第2次田中角栄内閣の発足に伴う閣僚地位喪失の官報掲載では羅列順で筆頭となっており、かつ、同第2次内閣でも国務大臣として筆頭に列されている。
政務次官