カール・ヘフナー500-1バイオリンベース
お気に入りはこの背中のトラ目。ベルトの小さなキズはたくさん
シリアルは 261038 ヘッドの削れは連戦のステージの勲章
Genuine Hofner Original Made in Germany とあるけど、単なるシールです
2002年ポール・マッカートニーが来日した東京ドーム初日の夜
ポールにサインをお願いしようと持ち込んだ…が!
トライセラトップスの和田唱さんのサインをいただきました!
1996年の石川県加賀市で開催されたビートルズ音楽祭。
そこに参加したジョージ・マーティンの前で、繰り広げられたビートルズ・バンドコンテストを見ていたらヘフナー熱にさいなまされ、いてもたってもいられなくなった。神戸デジタルラボの永吉一郎社長と参戦!
この時、ボクは、ジョージ・マーティンさんと奥さんと少しだけお話ができた。奥さんの香水はシャネルのN19だった。持っていたオベーションにサインをと思ったが、もらい損ねた。あれがヘフナーだったらと思わず思う。
この時に出演していたのが、パウロ鈴木さんらのビートルース。ビートルースさんは、ジョージ・マーティン賞を受賞!
そして、ようやく1996年の暮れにヘフナー500-1を入手。どこで入手したのかの記憶がなぜかない…。神戸三宮の楽器店だったはず。10万円前後だ。震災後の記憶は、なぜか、ところどころ断片的なところがある。
それまで、Fender Japanのプレジションベース黒でビートルズを演っていたのが、ようやくヘフナーとなり、真剣に取り組めるようになった。
六甲アイランドにあったポポロというジャズハウスで、月に一度ビートルズナイトというセッションデーを開催させていただくようになった。
この時に、岡本商店街のアリオリオの松田朗さんと知り合う。
当時のセッション仲間で、神戸のいろんなライブハウスでビートルズセッションを繰り広げるようになる。あの頃のメンバーとまた再会したい、遠くは大阪の堺から六甲アイランドまで足をのばしてくれた。
当時のセッションデーで知り合ったメンバーたちとビートルズトリビュートバンド「The Beagles」を結成(第一期)。
1998年3月29日 六甲アイランドでのライブ演奏
その後、1999年米国シリコンバレーに渡り、ネットバブルがはじけ、2001年東京を本拠地とするようになり、The Beagles 第二期は東京で展開した。
ジョン・レノンミュージアム、六本木キャバーンクラブ、大塚welcomeback、神泉ランタン他など
その後、ビートルズのジャンルを増やそうと、Rickenbacker #4003を手に入れたのですが、逆にビートルズが遠ざかることに、新しいRickenbackerのサウンドに魅せれていく。
その後、バンド活動は、渋谷でオープンしたセッションのできるBARへと活動が移っていく。
2004年10月14日 OPEN ソーシャル・ネットワーキング.BAR
2006年11月1日 OPEN BarTube としてリニューアルオープン
ラルク・アン・シエルのトリビュートバンドもこの頃、ラルク・ドット・シエルもこの頃だった。Barに来られるお客さんたちとライブハウスなども展開。
2008年06月27日 Bar事業部事業を売却
その後、Band活動はお休み中… 2013年 そうか、気がつくと5年もバンド活動していないぞ。
年に一度のソフトバンク仲間のAcademia Band や
2013はmeshibeさんたちやJoeさんと一度、ライブセッションしただけだわ…。