NHKの「龍馬伝」が最終回に向けて秒読みにはいっている…。
孫さんと一緒に体験できる大河ドラマもあと残りわずかだ…。
今夜の名言はこれだ…。
龍馬の言葉どおりの孫さんの返事。
さすがだ!
幕末の志士たちが、命がけで作ってきた「でもくらてぃん」も、すでに形骸化され、新たな大政奉還が望まれている時代となってきている。
排他的経済水域、漁業権、尖閣諸島、中国の意図的な日本バッシング、政治と金、エコポイント、消えた年金、事業仕分け、円高、
幕末のひとりの志士の、船の中で描いた草案だったが、明治政府の基本骨子となった。それも、今回のドラマでは、いろんな先達の教えを盛りこんでいた。…というか、感動的なほどの、パクリとも思えるほどの教えをまとめた策であった。
大河ドラマを見ている御仁は、ああ、あのシーンの…が脳裏からほとぼりだしてきたことだろう。
孫さんが、涙しているシーンを想像した。
「船中八策」
1、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
2、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
横井小楠のアイデアより イギリスの二院制度
3、有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
吉田東洋のアイデアより 下士でも優秀なものがおればわしがとりたててやる
4、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。
高杉晋作のアイデアより 高杉晋作が目指した日本の姿 「日本をたのみます。坂本さん」
5、古来ノ律令を折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
武市半平太のアイデアより
6、海軍宜ク拡張スベキ事。
勝麟太郎のアイデアより
7、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
久坂玄瑞のアイデアより
8、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。
河田小龍のアイデアより
以上八策ハ方今天下ノ形勢ヲ察シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テ他ニ済時ノ急務アルナシ。苟モ此数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並行スルモ、亦敢テ難シトセズ。伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。
そして、最後に、
「中岡、命を狙われるぐらいのことをせんと、日本はかわらんぜよ そうじゃろ?」
かっこよすぎです…。涙。
「船中八策」とは… http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E4%B8%AD%E5%85%AB%E7%AD%96
船中八策(せんちゅうはっさく)は幕末維新期に、土佐藩脱藩志士の坂本龍馬が、没年に起草した新国家体制の基本方針とされるものである。
慶応3年(1867年)6月、坂本はいろは丸沈没事件を解決させたのち、京都に上洛していた前土佐藩主の山内豊信(容堂)に対して大政奉還論を進言するため、藩船の夕顔丸で長崎を出航し、上洛中の洋上で参政の後藤象二郎に対して提示したものを海援隊士の長岡謙吉が書きとめ、のちに成文化されたもの、とされる。
ただし、原文書も写本も現存せず、詳しい成立過程を証明する史料もないため、青山忠正や松浦玲などの歴史家は、龍馬が作成に関わっていない可能性があることを指摘している。また、もともとのオリジナルは上田藩士で軍学者の赤松小三郎の構想とも、真木和泉(水天宮宮司、久留米藩士、禁門の変で自刃)が1861年(文久元年)に著した『経緯愚説』とも言われている。
また、船中八策の他に『新政府綱領八策』というものが存在する。近年の学説では『新政府綱領八策』こそが象二郎に提案したものであるとの見解がある。しかし、『新政府綱領八策』は慶応3年(1867年)11月に龍馬の直筆で書かれているので、時期的にみれば『新政府綱領八策』は新政府の構想会議用資料として複数作られたものと推測できる。