ビデオテープのHi-8デッキがあるうちに、 DVテープにダビング。
それを行いながら、Ustream.tvにも送り出してみた。
ビデオのすごさは改めて当時の記憶が鮮明に蘇ることだ。
http://www.ustream.tv/recorded/4020697
フジテレビ 阪神・淡路大震災から15年「神戸新聞の7日間」を見ても思い出した記憶のいくつか…
94年、95年と2年続きでマグニチュード7を体験しました。その頃の映像
前半は1994年のノースリッジ地震 2分からは阪神淡路大震災
http://bit.ly/6HXkD9
半壊した自分の家を、ビデオで撮影できたけど、全壊したお隣のビデオを撮ることはできなかった…。
神戸市兵庫区 川崎病院に運ばれてきた人たち。しばらくして、病院と体育館へ分別される。体育館の床にたくさんの方が並んだ…記憶がよみがえる…。
倒壊した家屋に、火の粉がふりそそぎ、消えた場所からまた火が発生。風向きひとつで生存者の命が替わった…。
震災翌日、地元のコンビニが空いたとたん、一斉に集団強奪となり、店舗を空けたくても空けられなかった事実。美談ばかりではない集団パニック。
この頃から、避難所のトイレがすごいことになりはじめる。水が流れないトイレにティッシュの山。コンビニの袋を2枚重ねで処理をする方法をみんなで考えた。
亡くなった方たちにカメラを向けるのは本当に怖い。しかし、これが震災の真実だ。それは決して掲載報道できない。あの方たちの命の分まで、生き残った人は生きていかなければならない。そうでなければ報われない。
震災3日目、船が動いた。神戸から船で大阪にまで買い出しにでかける。弁天ふ頭でデートしているカップル、心斎橋でパチンコしている人たち。同じ日本と思えなかった… 帰りは西宮北口から神戸まで歩く。
震災後、「心配したよ!」という電話がずっと鳴り続ける。しかし、連日、かえってそれが迷惑だった。すみません。
震災4日目、兵庫区で電気がついた。世の中が変わった。ボランティアがやってくる。しかし、炊き出しの列にボランティアが率先して並んでいるではないか。「君ら一体、何しに来たん?」
大阪に行くために三宮から西宮北口まで阪急の線路を歩く。線路で休む人たち、みんなが声をかけあった「大丈夫?」「ゆっくりいこね」。見ず知らずの、みんながとてつもなく優しかった。
ボクの取材ビデオを元にしたドキュメンタリー番組
NeoHyperKids 「検証・ネットから見た阪神大震災」 日本テレビ・時空工房
http://www.ustream.tv/recorded/4033220