アップルタブレットが発表されると…日本は鎖国時代を迎える?

「アップル タブレットが発表されると…日本は鎖国時代を迎える?」

泣いても笑っても、2010年01月27日(水)朝(米国時間:日本時間では翌28日木深夜)には、Apple社から、念願のタブレットタイプの新たなコンピュータ(?)が発表されていることだろう。
このところ、Appleの新製品の勝手リーク情報は、かなりの確率で当たりはじめているので、これらの情報はかなりの精度を極めていることだろう。

昨年は、こんな記事を書いたが…
2010年Time,Inc.の提案する雑誌の未来図は、マルチメディア時代のまま
http://j.mp/4Ue2Zo

電子雑誌としてはこれらの機能は不可欠だ!
1.「検索機能」単語検索だけでなく、関連ワード、検索保存、外部リンクなど。
2.「共有embed機能」外部のブログやSNS、Facebook、Twitterなどへの相互リンク。
3.「ネット連携機能」ビジネスモデルにかかわらず、保存やブラウズできなければならない。
4.「通信機能」Wi-Fi  3G  ホームネットワークは必須だ。
5.「アフィリエイト機能」書籍の記事を紹介したり、読者が紹介することによる収益構造。

さらに、Kindleを販売するAmazonは、今までのクローズドな体制を、一気にエンドユーザーへのオープン化へと戦略を切り替えた。これは出版社というビジネスを変容させてしまうほどのビジネスモデルを登場させた。

Kindle向け出版物の著者印税率を70%に倍増できるオプション
http://j.mp/5upfEA
Amazon.comでは、個人作家であっても、Kindle Digital Text Platform(DTP)を使用し、Kindle向け出版物を出版できる仕組みを提供し、最大70%の印税を支払うという(但し、米国に限る)。

なぜ、Amazonがこんな大胆なことに挑むのだろうか?それは、iTunes Storeと同じことを電子書籍の分野でAppleにさせないためだ。iTunesストアには個人でもiPhoneやiPodTouch用のアプリケーションを登録し、販売することができる。これの作者側の取り分が70%で設定されている。

しかし、Appleのタブレットは、電子書籍、それだけでは終わらないだろう。kindleはあくまでも電子ブックリーダーであり、本やPDFを読む端末である。Appleのタブレットは、ズバリ!汎用マシンだ。

おそらく、Appleのタブレットの要素は、デスクトップとノートブックとiPhoneの間のポジショニングだ。
机の上では、ハイパフォーマンスな処理がデスクトップに求められ、ノートブックでは、移動先であったり、サブとしての保険がメインとなっていた。そして、iPhoneはいつでもどこでもだ。しかし、新聞や雑誌を読むにはかなりのストイックな我慢がiPhoneには必要だ。タブレットは、iPhoneにおけるデスクトップ、やラップトップという位置づけだろう…。

タブレットの一番の使い勝手のいい場所は、家庭内だと思う。無線LAN回線のある家庭で、デスクトップの前、テレビの前のソファ、こたつの上、台所。Kindleと同じような場所での使い方ができる。しかし、kindleは読むこと、見ることしかできなかった。

しかし、「タブレット」の本当の機能は読むということだけでなく、自分から発信側に立つことができる機能が必須だ。
もちろん、電子書籍を読むことも可能だが、今度はそれを知人たちと共有できることのほうが重要だろう。

Amazonの焦りが、kindleでの海外販売をもきっと決断させたのではないだろうか?。日本で英語だけの製品を販売するくらいだ。
Appleタブレットが誕生したときに、あらやるリアルタイムウェブのタイムラインは、Appleのタブレット上に再現できるだろう。すると、デスクトップに戻ることなく、タブレット上で、すべての事を実現したくなる。もし、すべてのiPhoneアプリが稼働したらどうなるだろうか?そして、新たにタブレット用のアプリケーションが登場したらどうなるだろうか?

これは、机がなくても、椅子とヒザ、モモさえあれば、どこでも世界、いやあらゆるメディアへアクセスできる最初の端末になるかもしれない。
これは今までのiPodTouchの巨大化した端末であっても、処理速度と電池の問題さえクリアにされていれば使い道が、たくさんあることだろう。その機能は、ダウンロードだけではなく、アップロードにもある。

テレビもYouTubeで参考ビデオを検索しながら視聴し、共有するということもあり、知人とライブチャットしながらテレビを視聴ということももちろん可能だ。

テレビのリモコンは、必要な時しか触りたくない。テレビは怠惰(パッシブ)なメディアだ。しかし、iPhoneやPCは触らない限り、なにも起きない。そこでテレビの前に怠惰に座り、そこをタブレットなどでアクティブに検索しながら、視聴する番組を保存されたHDDレコーダーから選択し、twitterの#ハッシュタグによるタイムラインを同期させて読みながら、テレビを鑑賞するなんてこともアプリ次第で可能となるだろう。

TimeInc.のような90年代マルチメディア時代の発想のDNAを引きずるアプリ
 http://j.mp/6WxL8u 
は、現在でいうところの、グーテンベルグの印刷術以前の発想である。メディアをなんでもマルチにしてもそれはコストと手間がかかるだけで、人を感動させることにはならない。ひいてはビジネスにはならない。

グーテンベルグの発明の偉大さは印刷術の発明(1455年)よりも、今まで教会で文字が読めずに耳から聞いていた人たちが、書物が流通しはじめることによって、「文字をデコードする技術」、つまり「読書」というテクノロジーを活用できたことである。これによって書物さえあれば、識字という「文字デコード技術」を学んだものであれば、いつでも、どこでも、誰の手を借りることなく、聖書を学習することができるようになった。
印刷術は、「黙読」というスキルと経験と文化をもたらした。

asahi.com(朝日新聞社):電子書籍化へ出版社が大同団結
http://j.mp/62P8OD

おそらく、今週のアップルの発表で、日本の出版社の護送船団方式は、「日本語での鎖国」によって、21世紀のアップルの黒船による開国を拒絶することができるだろう。しかし、江戸時代に蘭学を勉強し、世界を相手に国際社会、いや次世代の日本を夢見た若者たちの一部は、「日本語での鎖国」が世界的に無意味であることにすでに気づきはじめている。

日本の市場は、「日本語」という言語が最大の参入障壁となり、海外の影響を受けにくいのは当然、しかも日本語の電子書籍が動かないと、日本では全くそれらの電子書籍の影響は受けない。
音楽はiTunesで輸入盤でもありだが、映画なども字幕がないと商品とはいえない。

当然、日本語の走らない電子書籍は、ありえない。Appleは開国を迫り、幕府は