映画「ジャンゴ繋がれざる者」Django Unchained
本作は、新・クエンティン・タランティーノ監督の第2作目といっていいだろう。
もちろん、1作品目は「イングロリアス・バスターズ」
※1時間以内であれば入場料金を返すというキャンペーンも話題となった。
である。今までの「レザボア・ドッグス」や「パルプ・フィクション」や「ジャッキー・ブラウン」そして「キル・ビル」シリーズなどとはまったく違うからだ。
「イングロリアス・バスターズ」では、ナチスドイツとユダヤを描いた。
そして、今度の「ジャンゴ」では黒人の奴隷制度と西部劇の社会を描く。
この2作品は、虐げられた人々の怒りを、解き放っているから、今までのタランティーノ作品とは大きく違う。どちらかというと、社会派監督としてのタランティーノなのである。…かといって、今までのタランティーノの魅力もスクリーンにあふれている。それはラスト1で炸裂だ!
原題は、Django Unchained だけれども、おそらく、「許されざる者」とひっかけられて、「繋がれざる者」になったのだろう。Unchained =繋がれていない だから。「鎖無用のジャンゴ」の方が正しい。
クエンティン・タランティーノは、スピルバーグのようなユダヤ人監督でなければ、スパイク・リーのような黒人監督でもない。だからこそのテーマ設定は、事実を踏襲するではなく自由に解釈ができたのかもしれない。
もしかすると、2007年に日本の三池崇史監督の「スキヤキ・ウエスタンジャンゴ」にタランティーノが出演していることがきっかけだったのかもしれない。
黒人の奴隷制度を描いた映画といえば「マンディンゴ」テレビ映画「ルーツ」くらいしかない。
タランティーノは、ユダヤの想いや黒人の想いを代弁しているかのようだ。
たかだか150年前の米国の悪行が明るみに出される。
そして、なんといっても、タランティーノ作品は、オマージュにあふれている。
なんといっても最初のタイトルバックに「ジャンゴ」のテーマ。
これは、続・荒野の用心棒のテーマソングだ。さすがに棺桶は引きずってはいなかったが…。
元祖ジャンゴである、フランコ・ネロもカメオ出演していたそうだが、どこに登場していたのかがわからなかった…。残念!
この映画の面白さは、西部劇を黒人主役にしてみたところの面白さだろう。
当時は、黒人が馬に乗っているだけで、驚かれてしまう。酒場に入るだけでも、一悶着が起きる時代だ。まるで、ペット以下の扱いであったことがよく描かれている。
よそ者であるだけでも大変な扱いなのに、それが黒人であればあるほど、さらにそれが、白人のお尋ね者を殺しまくる、流しの賞金稼ぎであればあるほど世間は冷たい。
そして、それをサポートするのが、ドイツ人の医師クリストフ・ヴァルツである。彼がいるからこそジャンゴジェイミー・フォックスは生きて行ける。
黒人を差別する時代。ドイツ人医師 ヴァルツはジャンゴを友人として接する、そしてさらにビジネス・パートナーとして成長させ、ジャンゴの奥さんを救出しようとする。
そこで登場するのが、レオナルド・ディカプリオとサミュエル・L・ジャクソンだ。ディカプリオは、ここでも、いやらしい白人役を見事に演じ、サミュエル・ジャクソンも白人に使える執事をこなす。
圧巻は、ラストに向けての展開だ。どこがラストかは2つラストがあるので、ラスト1だ。
握手にこだわるディカプリオ。さらに握手にこだわるヴァルツ。
このシーンで、何もしないジャンゴがボクは気に入らない。ジャンゴほどの身体能力があれば、ヴァルツを救えたはずだからだ。
その後は、まさにタランティーノ映画の真骨頂!
タランティーノのカメオ出演もあり、ラスト2へ向かう。
本当は、ここで、キル・ビルシリーズのように、「ジャンゴ 2」へ 展開しても良かったと思う。
ラスト2は、安心して成敗のザマを堪能できるはずだ。
米国では、黒人たちが狂喜乱舞してこの映画を見ていることだと思う。
そして、白人たちは、自分たちの先祖がしてきたことを恥じていると思う。
日本人には、女性差別や部落問題、在日問題などを描かないとこの映画の本質的なコアな部分は理解されないのかもしれない。