責任があっても責任が無いように聞こえる「みずほ語」の使い方

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2011年7月には「問題を知り得る立場にいた責任がないわけではない」。
みずほFG 佐藤社長 

責任が、あるとはいわないところがポイント!

 

 

 

問題の所在は認識していたと記憶している」 
西堀 元頭取

自分の、ことをさも他人事のようにすり替える話法  

これをサラリーマン風に置き換えると…

この企画がコケてしまった事を知り得る立場にいました。
私に責任がないわけではありません。

今期の数字の問題の所在を、私は認識していたと記憶しています。

 謝っているようで、実は誤っていないし、罪も認めてもいないので、

謝罪もしていない。

こんな「みずほ語」だけで社内がまかりとおっているとするとやっかいな銀行だわ。

 

 

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2013100902000130.html 
みずほ銀行が暴力団など反社会的勢力への融資を放置した問題で、同行の佐藤康博頭取は八日、東京都内で記者会見し、問題が発覚した二〇一〇年には、当時の西堀利(にしぼりさとる)頭取に取引の実態が報告されていたと明らかにした。佐藤頭取自身も「知りうる立場にあった」とした。これまで法令順守担当の役員までしか問題は把握しておらず、トップには報告していないと釈明してきたが、従来の説明を撤回した。   経営トップが不適切な融資を知りながら二年以上も放置される異例の事態が明らかになった。同行は当時のトップが関知していた事実を金融庁にも報告しておらず、経営責任を問われるのは必至だ。

 

 

 


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