赤いランドセル とある郵便局のお話。

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幼くして父親を亡くした女の子が、小学校に入学するころのことでした。

周りの子はみんな、親から買ってもらった赤いランドセルを背負って通学していました。

しかし、その子の家庭は幼くして父親を亡くし母子家庭でしたから、
ランドセルを買ってもらえるほどの余裕がなかったそうです。

もちろん、家に余裕の無いことがわかっていたその子は、
ランドセルがほしくても母親にねだることはできません。

子どもながらに、それはお母さんを困らせてしまうことだとわかっていたからです。

でも、毎日友達と通学していると、どうしても自分もあの赤いランドセルがほしくてほしくてたまらなくなります。

通学路にあるお店のショーウィンドーに飾ってある、新品でピカピカの赤いランドセルをいつも眺めていたそうです。

そんなある時、彼女は考えました。

「お母さんに迷惑をかけるわけには行かない。でも、私もあの赤いランドセルがほしい……。
そうだ、お父さんにお願いしてみよう!! きっとお父さんなら私の願いを叶えてくれるにちがいない!!」

そう思った彼女は、天国にいるお父さんに手紙を書くことにしました。

まだ、習いたてのひらがなで、一生懸命にお父さん宛にハガキをかきました。

「てんごくの おとうさんへわたしは、ことししょうがくせいになりました。
べんきょうもがんばっています。いっぱいがんばって、おかあさんをたすけようとおもいます。
だから、おとうさんにおねがいがあります。わたしに、あかいランドセルをください。
いっぱい、いっぱい、べんきょうして、がんばるから。いいこにしているから。おねがいします ]

もちろん、天国へのハガキです。

宛名は“天国のお父さんへ”と書いてポストに投函したそうです。

そのハガキを集配し、郵便局の職員の方がそのハガキを見つけます。

宛名は天国……。

ハガキの表には、幼い彼女が一生懸命に書いたあの文章……。

いつものように差出人不明で送り返すわけにも行かず、このハガキを手に取った職員が
どうしたらいいんだろうと仲間の職員の方に相談したそうです。

「ねぇ、見て、このハガキ……。
どうしたらいいだろうかぁ……。
送り返すにはあまりにも残酷だよね」

「う〜ん……。そしたら、僕たちがこの子の天国のお父さんになろうよ」

「えっ、どうやって」
「仲間みんなにお願いしてさぁ、ちょっとづつお金を出し合って、ランドセルを買ってあげようよ!」

そして、郵便局の職員のみんなで、ちょっとづつお金を出し合い、真っ赤なピカピカのランドセルを買うことにしました。

そしてそのランドセルを小包にいれ、その郵便局の中で一番字の上手い人が代表して、お父さんの
メッセージを書いて、その子の家に送ったそうです。

「○○ちゃん、お手紙ありがとう。
お父さん、とってもうれしかったよ。
いつも頑張っているのを天国から見ているからね。
これからも、優しい人になってね。そして、お母さんを助けてあげようね。
天国からいつも○○ちゃんのことを応援しているよ。
ちょっと遅くなったけど、ランドセル贈るね!!」

数日後、ランドセルとメッセージの入った小包が女の子のところに届きます。

その女の子は飛び跳ねるように喜び、お父さんからランドセルをもらったと、はしゃいでいたそうです。

そして、数年後この話を作文に書き、全国のコンクールで入賞したそうです。

この話を読んでみて、素直に感動できなくなっている自分をすこしばかり反省…。

本当に、女の子は天国のお父さんに届くと思ってハガキを書いたのか?とか…郵便局の職員が今後こういうお願い事が発生した時に困るので、前例を残さない(笑)…とか…。

素直に、こんな素敵な職員さんたちが、いる郵便局なんだと、どうしても素直に受け取れない…。なぜだろう。

スターバックスの店員さんや、GAPの店員さん、リッツカールトンのクレドだと、お客様の立場で考えるという視点を常に教育されているから、こういうエピソードはありえそうなのに…。

4時になったら業務を終了。ゆうパックの配達は、いつもいない時間帯ばかりに続けてやってくる…(他の宅配便は時間帯をずらして宅配を終わらせようとする)、などの経験値がきっと邪魔しているのかもしれない。

かつての一杯のかけそばを思い出しました。

1972年(昭和47年)の大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。

閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「かけそば(具の一切ない、他には汁だけの蕎麦)を1杯頂きたい(3人で1杯食べる)」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。

そして母子は出された1杯(1杯半)のかけそばをおいしそうに分け合って食べた。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。

翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。

「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。

それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。子供達は就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。”

他にもそういえばこんなお話も…ジョニーウォーカー黒ラベルのCM

「よかった、病気の子供はいないんだ…」

1998年のユナイテッドディスティラーズ ジャパン コピーライター 阿部洋一郎

この話に似たのは、

浦沢直樹「MONSTER」第10巻の15P

登場人物のグリマーが、ドレスデン駅で「ウィーンにいる病気の妹に会いに行かねばならないが、パスポートと財布の入ったバッグを盗まれてしまい、尚且つ病院に診せる金もない、申し訳ないが少しでいいから金を貸してくれないか」と話しかけられ、幾許かの金を渡します。

その後、近くにいた地元の人間に「あんた、騙されたんだよ」と呆れられる

なんだか、現代の振込み詐欺みたいな話なんだけど、これらはすべて、心の余裕があるかどうかで受け取り方も違ってくる。また、金額も手元の金額だけと、銀行口座からだと被害の度合いが違う。

心あたたまる話を、素直に受け取れる 心の余裕は、せめて持ち続けなければと思いました。

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