ほのぼのとした終戦の翌年らしい東京の映像1946年 GHQ映像

シャーロック・ホームズばりの推理と考察で、この映像が1946年らしいとつきとめた himag.blog.jp に敬意を払いながら…。

この映像は終戦直後の新橋や渋谷(道玄坂)、横浜などをGHQが35mmフィルムで撮影した素材なんですが、これまでイメージするあの時代の記録フィルムの解像度をはるかに超えているのでまるで最近みたいに見えます!
GHQは1945年から1952年まで7年間日本を占領していましたのでその時期に撮影されたものであることがわかりました。さらに時期を絞り込むためにスゴいところに着目した人がいました。
動画の17秒あたりに右に日比谷病院の看板が貼ってある電柱が出てくるんですが下に「今井ハツ」という貼り紙があることに気づいたのです。これはもうパソコンの全画面で再生して見ないと気づかないようなディテールなんですが、35mmフィルムということもあって見えるんです。
この今井ハツという人物を調べてみると1946年に行われた戦後初の衆議院選挙で日本自由党から出馬して当選し、日本初の女性代議士になった人ということがわかります。その選挙ポスターが貼られている(もしくは選挙後に残っている状態)ということからこの動画は1946年から1947年に撮影されたのではないだろうか?という推測に至ったというのです。 つまり、終戦の翌年の映像である可能性が高いわけです。
http://himag.blog.jp/45875410.html

そう思って、この映像を最初から見る。17秒に注目!

0:17秒

お!見えた 今井はつ さん!

日本初の女性議員今井はつ

1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補し、日本初の女性国会議員の一人となった。しかし、当選後学歴詐称が発覚、書類送検となった。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙で落選した。次の第24回衆議院議員総選挙では東京1区から無所属で立候補したが落選した。
落選後は明治大学新聞高等研究科に入り、卒業した。その後総理府青少年問題審議会専門委員などを務めた。晩年は千代田区丸の内で麻雀荘を経営した。1971年、死去。
https://ja.wikipedia.org/wiki/今井はつ

ホントだ!電柱広告の下にある広告からすると1946〜1947年ということが想定できる。

あれから70年、終戦の翌年の日本人

35ミリのフィリムカメラをなんらかの方法で、後ろへ下がりながら撮影されたこの映像。おそらく、GHQが撮影しても進駐軍だから文句も言えない。撮られたところでテレビもなければ、YouTubeもない時代。どうってことない。映画館のニュースで流れるくらいだ。

そこに写っている日本人。
男子は帽子をかぶるのが、ちゃんとした男子。
女性は着物が多く、軍服姿の日本人もいる。

おそらくこの映像に写っている人は、20歳でも、現在は90歳。30歳でも100歳。40歳以上の方はほとんどおられない。しかし、その70年前の映像はネットを通じてここまで鮮明に残されている。さすが銀塩のクオリティーだ。
1980年代のMTVのビデオ普及期のビデオクリップ映像の方が劣化が激しい。

終戦後の悲惨なハナシはたくさん聞いてきたが、すぐに立ち上がって、カバンを持って、どこかへ働き出す人々が、戦後の日本を作ってくれたのだ。新橋だとすると、お役人の人達の出勤ラッシュの時間だったのかもしれない。

戦後の日本を立て直す役人だとすると、法制度から福祉にいたるまで想像を絶する忙しさだろう。現在の法整備どころではない。

人々の表情に戦後の暗さを感じることがない。NHKの特集映像からはまったく見られないほのぼのとした表情だ。

70年前の日本人の姿を見てきっとこの曲のほうがあっていたかと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=OhVnMeZusLc