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前回のドライビングジャパンツアーから、早や11年。
11年前の記事を振り返ってみました…。
2002年11月11日 日刊デジクリの記事より
ポール・マッカートニーのサインはもらえたのか?
this sign by The Mirage Hotel Love entrance
いよいよ、ポールマッカートニーのジャパンツアーが開始となりました。
早速、東京ドームのポール・マッカートニーのコンサートにいってまいりました!結果として、残念ながら、バックステージパスなどはもらえず、単なるプレスでしたが、映像はすべてラインで、提供される映像を受け取るだけ。静止画もかなり離れているところからの望遠ショットだけというものでした…。
これはアーティスト側からすれば、理想なのかもしれませんが、いろんな角度からの映像を見たいファンの心理からすると単一のメディアの機能ってもはや不要なのかもしれません。メディアはもはや主催者の単なる増幅機能だけなのかもしれません。
取材はそこそこに、愛用のへフナーベースとサインペンを持って自分の席に戻ります。かなり左の方向ですが、前から4列目です。もしかして運がよければ…。
記憶が鮮明なうちにインプレッションを残すとすると、一番の特徴は、観客のバラエティさです。まさに「老若男女」というのは、このためにある言葉かと思います。ファン層の広さでいうと中高生が若干、少なめなのですが、会社の残業を抜け出して駆けつけてきたサラリーマンに、目いっぱいおしゃれしてきたと想定される家庭内専業主婦。子連れ、老夫婦。ファン層だけを見ているだけでは、誰のコンサートのために東京ドームに集まってきているのかまったく
わからない光景です。
そして、いよいよコンサート。会場内には、シルクドソレイユ風のプレショウがはじまります。20分くらいは、こんなショウで日常から逸脱することができました。少し長めでしたが、コンサートを盛り上げてくれます。
いよいよ、へフナーベースのシルエットとともに、ポール・マッカートニーが登場!アメリカの公演よりも髪が少し伸びて、若々しいイメージです。一曲目は「ハローグッバイ」そして「ジェット」。ここまで映像撮影が可能なので、テレビなどのニュースでも流れるはずでしょう。
ちょっと、体型はかわってしまったけれど、声の調子は今までで一番いいかも!また、バンドのコーラスも、ウイングスの時よりうまい!このあたりも新しい解釈でポールの今の姿としてとらえることができそうです。
今回のコンサートでは、同時通訳がスクリーンに字幕で登場するのです。文字化けも多いのですが、けっこう楽しめました。これからはこんなスタイルは流行するかもしれません。ただ、翻訳も入力も8人のスタッフがいる割には、まだまだプリミティブ。日本の外タレライブには専門の翻訳字幕会社というニーズがあることを感じました。これがあるだけでミュージシャンとの距離が非常に近づきます。
ベース、ギター、ピアノ、生ギター、ウクレレと、マルチプレイヤーぶりを発揮して曲ごとに変化させていくポールです。ウクレレで演奏するジョージ・ハリソンの追悼曲「サムシング」には、ビートルズ時代のひとつのマイクをシェアする映像とともにあらわれます。
簡素なウクレレでメジャーっぽいアレンジの曲は、マイナーな曲よりも、涙をそそられます。ここで、もう涙してしまいました…。
ジョンに捧げる、リンダに捧げる、そして全体はビートルズに捧げるコンサートだったと感じます。なんだかこのワールドツアーが終わっちゃうとポールもやり遂げてしまうような気さえするぐらい、熱がこもっています。
ラスト近くには、もう定番で食傷気味の「ヘイジュード」や「レットイットビー」なのですが、やはり、世界で一番のエンターテイナーです。60歳の御年を感じさせず、ロック曲として熱唱していきます。もうすでに8ヶ月も毎日、3時間ものステージをこなすのですから、それは想像を絶します。
もちろん、旅つづきで、病気もできず、重労働です。いくら何百億もお金があっても使っている余裕はありません。いろんなイベントや来客や接待もあることですからプライベートの時間はほとんどないに等しいでしょう。
しかし、エンターテインメントを職業とする人は、何よりも人に喜んでもらえることを常に考えており、その喜ぶ人たちを見ることによって自分も最高の満足が得られるという性質をあらわしていると感じました。金とか名誉を越えるものは、本来シンプルにやりたかったことなんでしょう。いい歳をとりながらもロックしているポールがうらやましいものです。
そう考えると、人よりは、かなり自由人であるボクもまだまだ自由になりきれていないので、ポールを見習って、ハードにやりたいことを貫く気持ちになりました。
クライアントがいて、いろんな問題を抱えながら、一緒にその問題を解決していくことも、クライアントのクライアントである顧客へのサービスであると感じます。もしも、自分がポール・マッカートニーだったら、どのように解決するのか?と日々の業務に置き換えてみることにします。
コンサート終了後、デジクリで応募してきたカップルさんたちと共にドーム近くの焼肉屋へいってきました。一読者ではなく、コンサートの共通体験が友達の感覚にかわっていくのがわかります。
焼肉屋の隣の席には、同じくコンサートを見てきた若い人たちが、ポール談義に夢中です。1970年代生まれなのに、ビートルズにとっても詳しく、非常に関心な若者たちでした。
しばらくポールのコンサートについて、一緒にしゃべっていて、相手がプロのミュージシャンということを教えてくれました。しばらく、ちゃんと顔を見ていると、あれっ?どこかで見たことがある顔なのです。
ボクが冗談で「トライセラトップスのボーカルに似てるって言われるでしょう?」って聞くと、「ボクたち、トライセラですよ」だって…!
「関心な若者たち」は、その瞬間、「偉大な若者たち」に変化しました。これって面白いものですね。対等にポールの音楽性がどうのこうのって話していたのに、相手の素性がわかったとたん、まるで水戸黄門の印籠を見せられた気分になりました。
http://www.triceratops.net/
実はボク、「トライセラ」の音が大好きなのですが、見たことがなかったので、ご無礼してしまった状態でした。ごめんなさい。しかし、ここで顔がわからないのにファンだといっても信用してもらえないので、とある行動にでました。
ポールおたくの和田唱さんに、ボクの愛用のへフナーをわたし、記
念にサインをお願いしました。「後悔するからやめときましょう」「大丈夫ですよファンだから」
「じゃあ、裏にしときましょう」と遠慮気味。
「いやぁ、今日の思い出話をネタにできるので、ぜひ表で!」とボクのへフナーにはポール大好きミュージシャンのサインの第一号が刻まれました。ボクの
へフナーには今後はポール大好きのミュージシャンのサインが刻まれていくことになります。ライブのMCのネタになりそうですね。
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