Googleのミッション「世界の情報のすべてをオーガナイズし、それをアクセス可能にする」を結果として拒むこととなる存在の2大ライバルは、facebookとAppleだ。
いや、それは拒むのではなく、結果として「『Google』が、世界の情報のすべてを…」の主語を変えてしまう脅威でもある。
前者は世界最高峰のエンジニアを集めれば、維持できると考えていた思想が、一人のクレイジーなCEOのモチベーションと、今更SNSといわれていたfacebookの登場によって、Google Labsにあったいくつものアイデアが見事に打ち砕かれてしまった。
最高のヒエラルキーをもった組織のプログラムよりも、プロダクトで世界に革命を起こすというエモーショナルにマーケティングの女神は微笑んだ。
また、ユーザーに何の説明もないままUIを日夜変更し続けるfacebookは一切のマニュアルがない。反対にGoogleのサービスはいつも役にたたないヘルプを表示し、酷評されても、何もそれをUIに反映できないままである。
21世紀の初頭の携帯電話は、電信が電話に代る19世紀末の技術進化に非常に似ている。
「電話」という100数年にわたる過去の遺物の機能をもった機械(デバイス)が、手のひらで持ち歩ける事によって、オルタナティブなコンピュータ、いや新しいコンピューティングデバイスへと進化しつつある。
それは蒸気機関と同じく、新たなコミュニケーション産業を育む土壌となるのは、まだまだこれからだ。
我々は、電信技術が少し便利になっただけの世界をネットやモバイルで体感している。本当のインターネットはこれからやってくるのである。
現在のデバイスの「電話」の機能はどうでもよく、3Gによる無線回線がかつての電話の銅線にADSLが走ったように、インターネットのWi-Fiが普及するまでの途中手段である
Googleがようやく、モトローラを入手する事によって、ハードウェア、OS、ソフトというAppleと同じ土壌でも戦うことが可能となった。自社の携帯OSであるAndroidのベーシックな基本ルールという、端末ごとの個性(悪癖ともいう…)だけでなく、最大公約数的な基本機能の使い方を明示することが可能となる。
さらに訴訟問題を同時に解決できることは、Google銀河系の影響力を再び取り戻すことができるチャンスだろう。
ただ、Googleは、今やMicrosoftのWindowsと同じく、OSサプライヤーとしてのポジションのため、自社ハードウェアを提供しにくい状態でもある。
あくまでも自社のOS、プラットフォーム、ハードウェアというスタンスのアップルと、OSとプラットフォームを狙うGoogleとは、戦略が大きく違う。
そこに、第三の宿敵としてのfacebookが君臨している。単なるSNSながら、実名ということで、リアルな世界との親和性を結実させる可能性を秘めている。
facebookがAndroid端末をWi-Fi版でメーカーに作らせることは簡単にできるだろう。
facebookが今、一番注力を注がなければならないのが、モバイルアプリだ。
公式アプリのダメダメぶりは、開発者、いやザッカーバーグのリーダーシップの欠如ではないかと思う。
facebookでさえ、秀逸な実名サービスが彗星のごとく現れれば、MySpace.comのように、一気にユーザーを失う怖さを秘めている。いや、SNSの場合、ユーザーはスイッチをするだけで、会員数は減らないが、トラフィックが大幅に変化する。
Google+は、良くも悪くも歴史的な大逆転を展開できるのかもしれないが、守るべきアカウントのヒモづけも多すぎる。Googleのサービスの中を自由に横断しようとすればするほど、不具合が起きる。
アップルも、ジョブズが残した4年分のプロトタイプがあるものの、最終的な製品のゴールに向けての完成度には凡人性が常につきまとうことになるだろう。 プロダクトに対する狂気がそこには宿らないからだろう。
いずれにしても、2012年は、この新世代のSNSの勝手な進化と3ヶ月ごとのアンドロイド端末と年に一度のiPhoneのアップグレードの狭間で、ユーザーは常に、三つ巴の天秤の世界で、自分たちの安住の地を探し、荷物をたくさん持って移動している状態でもある。
そろそろ、一箇所にとどまりたくなってきている気持ちで一杯だが、どこも居心地が決していいわけではない。
それが一番の問題だ。
選択の幅が広すぎるのは決して幸せなことではない。
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