1963年 東京オリンピック 聖火リレー あの日の記憶 神戸市兵庫区上沢通り

 

1963年10月 東京オリンピック 聖火リレー

神戸市兵庫区上沢通3丁目の国道2号線上での聖火リレー

当時、ボクは、2歳から3歳になる頃だ。

この写真を撮っている父と一緒に、聖火リレーを見に行った。

 

東京オリンピックは、東京だけでなく、高度成長期のニッポン全国の関心事だ。

遠いギリシャのアテネからの種火が、運ばれ、全国で聖火リレーが繰り広げられた。

 

あいにくこの日は雨の日で、ボクは火が消えないようにと心配していた。

父は、予備の火があるからたとえ消えても、そこからやり直せばよいと説明してくれた。

 

ボクの人生の中の最古の記憶は、この写真の頃だ。

雨が降っていて、たくさんの人と一緒に聖火リレーを見て、一瞬のうちに、ドワーっとたくさんの人たちが、駆け抜けていったことは明確に記憶に残っている。

 

いや、この写真をもとに、記憶が醸成されているのかもしれないが、あの日のことは鮮明に記憶に刻まれている。

 

あと2年で東京オリンピックだ。前回の東京オリンピックとは時代もムーブメントも違う。しかし、熱しやすく冷めやすい国民性だと、事前にいろいろ問題があるかもしれないが、いざ始まってみたら、ワールドカップと同様に国民はひとつになれるはずだ。

 

むしろ、その日本のピークが終わったあとのヴィジョンをもっと騙らねばならない。

東京オリンピックで、復興する新しいニッポンだ。

 

2020年 東京オリンピックのボランティアとして参加する!

 

 

聖火ランナーが見えてきた! ものすごい隊列が続く…。

道路の上の電線は、路面電車のための電線だ。道路の真ん中のでっぱりは、路面電車のための停留所だ。

 

沿道にはたくさんの人々がつめかけた…。

家の2階からのぞく人もたくさんだ。
神戸市兵庫区はお好み焼き屋さんがとても多い地域だ。

 

聖火が目の前を駆け抜けていく…長い長い発煙がまるで狼煙のようだった。

 

バイクが並走しながら、五輪旗を持つ聖火ランナーたちが、バタバタと足音を立てて駆け抜ける…。
シャツの裾はみんなパンツにインである。シューズまでは覚えていない。
大量の足跡があっという間に駆け抜けていったことは覚えている。

 

 

時間にしてほんの数秒…。父、神田友治は、この瞬間に4枚シャッターを切っていた…。

 

 

隣のページには、アイスクリームが大好物だったボクがいる…。3歳になったようだ。

 

2018年5月 神田友治は永眠。