【追記】2015/01/24 湯川さんらしき人が殺害されたと、後藤健二さんが写真を持った画像と音声が送られてきたという。追悼 湯川さん…
http://www.47news.jp/news/flashnews/
人質の湯川遥菜さん ブログ
http://ameblo.jp/yoshiko-kawashima/entry-11897703222.html
湯川遥菜さん facebook
https://www.facebook.com/haruna.pmc
湯川さんにとって、今回のシリア入りは人生のチャンスだったはずだった。
しかし、結果がこれはあまりにも辛辣すぎる…。
ボクもバグダッドに入った時に感じたことがあるが、どことなく常に戦時中が日常であり、平和な時が非日常な場所は、なにかこの世とは違う空気を感じる。生死の境界が狭いのだ。だからこそ、今日が大事で未来の展望を持ちにくい。老後なんてコトバは絶対に出てこない。「明日」が一番大事なんだろう。そのために「今日」がある国たちだ。
湯川さんは千葉県内の高校を卒業後、2000年ごろに軍用ヘルメットなどを販売するミリタリーショップを開業した。父の正一さんと湯川さんのブログによると、この店は3─4年後に倒産し、借金を抱えた湯川さんは夜逃げをして、公園で1カ月近く生活をすることもあった。その借金は、正一さんがアパートを売り払って返済したという。
思い詰めた湯川さんは2008年頃自殺を図り、局部を切り落とした。この時は妻に止められ、病院で一命を取り留めたが、その妻はその2年ほど後に肺がんで亡くなったという。
「失敗した時は女性として生きようとも思っていたので、後は運命に任せた」と、湯川さんは自身のブログで語っている。名前を「正行」から「遥菜」に変え、日中戦争当時に「東洋のマタハリ」や「男装の麗人」の異名をとった日本軍スパイ、川島芳子の生まれ変わりを自称していた。
湯川さんは「頑張れ日本 全国行動委員会」のイベントにも参加している。田母神俊雄元航空幕僚長とのツーショット写真もネットで公開。同団体の茨城県本部代表、木本信男さんにPMCの顧問を依頼している。
湯川さんの安否を気遣う友人たちは、彼が自分探しの旅に出たのだろう、と語る。今年4月、湯川さんはブログにこうつづっている。
「残りの人生で多くの人を救いたい。僕は2008年頃から何度も絶望や死に直面している。今考えると死なずに救われてきたのは、歴史的偉業を成し遂げる使命が有るのだと考えざるをえない」。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/03/haruna-yukawa_n_5757128.html
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— عراق الفاروق عمر (@awsfasfas5) 2015, 1月 20