http://www.whereseric.com/the-vault/guitars-amps-and-related-equipment/blackie-eric-claptons-fender-stratocaster
1967年 ブラウニー Brownie
1967年、『ブラウニー』という名のブラウンサンバーストの1956年製のストラトキャスターを使用し、『デレク・アンド・ザ・ドミノス』でレコーディングしている。
GibsonからFenderへ切り替えるきっかけはジミ・ヘンドリックスの影響と云われる。ストラトキャスターは
1954年に販売されるが不人気であったが、ジミ・ヘンドリックスがマーシャルとつないだ大音量で1966年に人気を復活させる。
2カラー・サンバースト(ブラウン・サンバースト)のフィニッシュ、メイプル製のネック、ドットのインレイなどが特徴。1956年製で、シリアル番号は12073。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%8B%E3%83%BC_(%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC)
1999年6月24日、彼が設立したアルコール・薬物のリハビリ施設「クロスロード・センター」の資金調達のため、ブラウニーをオークションに出品し、45万ドルの値がついた(ギターの分野において当時最高値)。また、同時に出品され、ブラウニーと同時期にスライド用に使用されたほぼ同スペックのギターはウドー音楽事務所が落札し、日本国内に所蔵されている。
ウドー音楽事務所で Blackie Jr
1970年ナッシュビル Blackie
1970年、ナッシュビルの楽器店(Sho-Bud)ショーバッド・ギター・ショップで、1956年~57年ごろの3本のフェンダー・ストラトキャスターまとめ買い。
それらのパーツの良いところ取りで作られたのが、このBlackie
□ストラトキャスターは当時ジャガーやジャズマスターにシェアを奪われ、不人気機種とされていた為、一時生産打ち切りを真剣にフェンダー社が考えたほどであったことから、楽器店のみならず質屋でも捨て値同然で売られていたため、クラプトンもこれだけのギターをまとめて買うことができたという事情がある。
しかし、この頃のクラプトンは人生最悪な状態の日々、ヘロインとアルコールの日々…、米国に渡り、ジミ・ヘンドリックスのドラッグによる死を迎える。盟友ジョージ・ハリスンの妻、パティ・ボイドへの想い…。1971年にはデレク・アンド・ザ・ドミノスは解散…。ステージでサングラスをかけているのは、焦点のあわない瞳を隠すため。
Pattie Boyd と Jenny Boyd の姉妹は、数々のロックレジェンドを翻弄させてきた…。
27歳で死なずにすんだブルースマンのクロスロード
ロバート・ジョンソンからはじまるブルースマンの27歳死の呪い…。ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソン、その後もカート・コバーンにエイミー・ワインハウス。
エリッククラプトンは地獄から生還したのだった。
http://www.tapthepop.net/story/6866
□初めて演奏されたのは1973年1月13日で、アルバム『エリック・クラプトン・レインボー・コンサート』にその模様が残されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC_(%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC)
残りのギターは、ジョージ・ハリスンやスティーブ・ウィンウッドらの手に渡った。
『ラストワルツ』でのBlackieでの演奏 1976年11月25日
1985年まで、Blackieは現役だったが、ネックそのものがすり減ってしまいメインギターの役目を終える。
□オリジナルのブラッキーは2004年にオークションに出品された。それは、彼がアンティグア島に設立したクロスロード・センター(アルコール、麻薬中毒者の救済施設)へ基金を募るためのであった。そして、そのギターは音楽楽器最大手のチェーンのギター・センターが$959,500(約1億900万円)で買取り、世界で最も高額なギターとなった。
※2015年、ジョンレノンのGibson J-160Eが241万ドルで落札
□2006年11月24日、フェンダー社はブラッキーを復刻して限定275本を販売。発売後の数時間で売り切れ、収益の一部はクロスロード・センターへ寄付された。
https://www.udiscovermusic.jp/news/eric-claptons-heir-blackie-guitar-sale
高校1年生だった、1977年9月26日、大阪のフェスティバルホールで初めてのエリック・クラプトンのライブを見た。
『スローハンド/SlowHand』のリリース前だが、『Cocain』が先にシングル発売されていた。
『ギターの神様』をはじめて肉眼で見た…。ステージの上手には、パティ・ボイドさんの姿を見ることもできた。
そして、一曲が終わる度にタバコにひをつけ、一口二口吸った後は、ギターヘッドの6弦にわたしたまま演奏する。途中で灰がぼさっとステージに落ちる。その繰り返しだ。
エレキ少年には憧れのシークエンスだった。
もちろん、ギターはオリジナルのBlackieだった。
その後も クラプトンのサイン入りという廉価版のBlackieも登場…。といっても、100万円超えの138万円だ…。
https://www.j-guitar.com/gakkisommelier/review/2018/04/fendee-ec30th.html
1990年 Heir To Blackie
かの有名なハイブリット・ストラトキャスター、‘ブラッキー’の後継器として3年に亘り使用していたギターが売りに出されることになった。’Heir To Blackie’は、現在、サンフランシスコ・アート・エクスチェンジに保管されており、購入希望者は、そこを訪れてオファーすることができる。正式なオークションではないが、抗いがたい魅力のあるギターに入札する機会となる。最低入札金額は、$325,000(約3700万円)から。
1990年のロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールでの‘24 Nights’コンサート、1991年のジョージ・ハリスンとの日本ツアー、そして1992年にニュー・ヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにおけるボブ・ディランの30周年コンサートである
https://www.udiscovermusic.jp/news/eric-claptons-heir-blackie-guitar-sale
クリームの再結成でもプレイされている
Charの解説するCrossRoad by Eric Clapton
クロスロード Cream Crossroads Guitar Lesson クラプトンソロ