2009年10月18日の写真。 [my-age birthday=”20091018″] 年前の写真だ。
facebookは過去の自分の記憶を遠慮なく空気を詠まずに投影してくる…。
twitter社のパーティーだった。
まさか、twitterの身売り話しが訪れているとは、この時twitterは、まさに、インターネットの革命児でもあった。
真ん中は、今は亡き、ゲームデザイナーの飯野賢治氏だ。
2013年2月20日 享年 42歳 心不全だった。もう、 [my-age birthday=”20130220″]年経過
https://ja.wikipedia.org/wiki/飯野賢治
この時は、まさかそんな事…だった。
飯野さんの写真を見る度に、死へのあっけなさを想い出させてくれる。
亡くなってから何年も経つのに、いまだにtwitterでは小洒落たことを言っている(笑)
「久石譲」って「クインシー・ジョーンズ」が由来だったのか! わりと衝撃。。。
— 飯野賢治 Kenji Eno (@kenjieno) 2011年12月2日
どっちも経験してねーじゃねーか!
死ぬまでにはどちらかを体験したい。1. 宇宙人(或は未知なるもの)が攻めてくる。 2. 巨大隕石が地球に向かって進んでくる。
— 飯野賢治 Kenji Eno (@kenjieno) 2011年12月3日
マイケル・ジャクソンの死をあれだけ悲しんだのに、その後すぐに追っかけて行ってしまった…。
今頃、クラウド側で、シェケブンブンブンしていることだろう(笑)。
しかし、数年後、ボクも元マイクロソフトの古川さんも死にかける…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/古川享
人生なんて、常にわからないものだ。
生まれた瞬間から、自分のDNAを残し続けるための煩悩でスタートする死へのレースなのに、人間だけは、それ以外のDNAを残すためにやっきになる…。
名誉だったり、カネであったり、土地であったり、事業であったり…。
150年以上、生きた人はいない。いつかは死ぬのだ。
明日、何かあれば、死ぬかもしれない。
なぜか人は、自分の死を直視しないで、遠い存在で人の死を悲しむ。
いやいや、死なんて明日は我が身だ。
今日を生きられ、明日死んでも悔いのなかった一日かどうかを毎日悔やむ。
明日こそ、明日死んでも悔いのない一日を過ごしたい。
新しい家族もできたので、1日1日、幸せを噛み締める毎日を過ごすのみだ!
将来や未来や老後はすべて明日の延長の連続だ。
明日は今日を生きぬいてこそやってくる…。
今日を生きよう!今日が一番大事だ。明日はないと思って今日を生きる!