永遠のベイシティローラーズ タータンチェック大旋風!

ボクの音楽人生に一番影響を与えてくればバンドといえば、絶対にザ・ビートルスと沢田研二さんだ。

しかし、二番目か三番目に影響を与えてくれたバンドは、絶対に「ベイ・シティ・ローラーズ(1971年デビュー)」だ。

1970年代、70年代のビートルズ!と大宣伝されて、まんまと調子に乗ってしまった。
NHKの「ヤング・ミュージック・ショー」でエリック・フォークナーが、ギターを弾きながら、ファンにもみくちゃ感は、まるで「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!」のワンシーンをリアルタイムに見たくらいの衝撃だった!

日本ではBCRの曲は、CMソングでおなじみだと思う。それはその時代の人が、オトナになり、広告代理店の一線で活躍するようになったのと、ミーハー消費を牽引する中高年になっているからの理由だ。

BYE BYE BABY  1975年

SATURDAY NIGHT 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=PyuVQtQBdws

そして、それは、1975年のロンドンから始まった!
NHKで放映されたのはこの映像だった! youtube時代で約40年近くぶりに遭遇!

アラン・ロングミューワーが、ベースで在籍していた頃だ。
ボクの目には、レスリー・マッコーエンはジョン・レノンで、エリック・フォークナーはポールマッカートニー、スチュワート・ウッディ・ウッドは、ジョージ・ハリスンに見えた。

デレクの、ダダダダダダ、ダダダダダダ、ダダダダダダの基本フィルインは、まさにベイ・シティ・ローラーズサウンドのキモでもある。なかなかシンプルなフィルだが、デレクのタメで叩ける人は実は少ない。ツェッペリンのボンゾーを叩いているつもりになって叩けてない人と同じくらいに(笑)
それは小節内を叩くのではなく、小節内を円運動で一周しているノリを理解していないからだ。


このビデオで、エリックはもみくちゃになる…。しかし、ギターはなぜかとぎれない。ウッディのリズムギターは最初からよくわからない感じだ。

むしろ、このエリックのフェンダーのストラトキャスターが気になった。ムスタングのようなボディのライン。
そして、フロントとミドルが、ハムバッキングに改造されている。リアだけシングルだ。リアをハムバッカーにしたらストラトの意味がないし(笑)。
 なぜ、このエリック・フォークナーモデルの白のストラトをFenderは発売しないのか! 絶対に買うぞ!インギーのストラトよりも意味があると思う。どんな音がするんだか興味もある。

ニーズもこのようにある!


黒ピックガードモデルもあったのか?もしくは張り替えた?

ハムバッカー付ストラトは誰が最初に使い始めたか?
 アラン・ホールズワース…というのが一般的な答えかもしれませんが、実はベイ・シティ・ローラーズのエリック・フォークナー(Eric Faulkner)ではないか?
 アランの使用はブラッフォード在籍時の1977年頃からと思われますが、エリックの場合はYouTubeで確認すると、74年にはすでにフロント、センターにハムバッカーを付けたストラトを使っているのが見えます。当時、すでに「BYE BYE BABY」のヒットなどで露出度も高かったので、アランも影響されたか?

 いえいえ、72年にはフェンダー社からハムバッカー付テレキャスター(シンライン、カスタム)が発売されているので、おそらくはそちらの方がストラトへの流用のヒントとしては有力ではないでしょうか?
http://ameblo.jp/cbjb555/entry-10987498250.html

どことなく、ビーチボーイズ風のノリのあるBCR。レスリーのローズ指板のイエローサンバーストのストラトも1970年初期だから今はいくらするんだろうか?

そして一連のヒットの後でやってきたのが、I only wanna be with you 二人だけのデートだ。これで極めつけで日本は最高の市場として完成した!

ここでは、イアン・ミッチェルの姿が見られる。

若き頃の、エリック・フォークナーよりも、イアン・ミッチェルの加入は女子中高生の間で、センセーションだった。

そして、このアルバム「青春にささげるメロディ」のDedication はまさにイアン・ミッチェルに捧げるメロディだった。
『青春に捧げるメロディー(Dedication)』1976年

そして、突然のイアン・ミッチェルの脱退に、パット・マッグリンの加入。
マネージャーの、タム・ペイトンの采配は、ブライアン・エプスタインクラスだった。

ロックンロール・ラブレター 

ロックンローラー

レッツ・プリテンド

ドントストップミュ-ジック

ラブミーライクアイラブユー

そして、運命の名曲「Yesterday s Hero」どおりにBCRは進んでいった…。

ジョン・ポール・ヤングの「Yesterday s Hero」

BCRを本当に「Yesterday s Hero」にしてしまうきっかけに

アイドルバンドからの卒業。それが彼らの課題だった。BEATLESでいうと、[Rubber Soul]だろう。
それが、1977年 it s a game 恋のゲーム だ。
『恋のゲーム(It’s a Game)』1977年

そして、ティーンネイジャーのBCRフィーバーは急速に落ち始める。

イアン・ミッチェルはロゼッタストーンを結成

キンクスのYou Really Got Me をカバー

クリームの Sun shine of your love もカバー

パット・マッグリンは、スコッティーズを結成
https://www.youtube.com/watch?v=t_Z3qon87GU

1978年、レスリーの脱退、ダンカン・フォールの加入…。

ヴァン・ヘイレンのデイビッド・リー・ロスの変わりにサミーヘイガーとはいかなかった…。

レスリーは、タイガースの「銀河のロマンス」Sylvie My Loveをカバーする
デビッド・ボウイ風のいでたちで…



1996年のテレビ番組のインタビュー

それでも、もう18年前だ…。

それでもBayCityRollers よ永遠に!