もしもキルドールが、お忍びで日本に来ていなかったら…世界はどう変わっていたのか?IT業界のパクリの天才たち


IT業界は、どれだけ他人のアイデアをパクる技術がすぐれているかですべてが決まるといっても過言ではない。

ゲイリー・キルドール(Gary Kildall、1942年5月19日 – 1994年7月11日)という人を知っているだろうか?

CP/M(Control Program for Microcomputer、シーピーエム) というOSを開発(1976年発売)し、デジタルリサーチ社という会社を起こした起業家だ。

Apple IIの成功に目をつけたIBMは、キルドールにIBM PC版を移植させたくコンタクトをとるが、コンタクトが取れなかった。

そして、マイクロソフトは、CP/Mと同機能を持つ、86BASIC(QDOS)(Quick and Dirty Operating System)をティム・パターソンから50,000ドルですべてのライセンスを買い取る。NDAがあったので、ポール・アレンは顧客がIBMであったことをティム・パターソンには告げなかった。

キルドールとコンタクトが取れなかったIBMはマイクロソフトと契約をする。

なぜ、キルドールはこのチャンスを逃してしまったのか、諸説がある。

【1】ビル・ゲイツ説 デジタルリサーチ社を訪問した IBM の重役達を何時間も待たせたまま、キルドールは自家用飛行機を飛ばしに行っていた

【2】IBM の代理人がデジタルリサーチ社のゲイリー・キルドール(CP/M の開発者であり後に DR-DOS も開発する)を訪ねた時に、彼が会おうとしなかった

【3】IBM と デジタル社が価格面で折り合わなかったのだ、とされている。IBM は 250,000 ドルで CP/M を丸ごとすべて買い取ることを提案したが、キルドールの希望は 1 コピーあたり 10 ドルのライセンスであった。

しかし、かつてのデジタル・リサーチ社の日本支社で働いていた●●●氏から驚く話を聞いた。

なんと、その時キルドールは、お忍びで日本支社にいたというのだ。いや、支社というよりも日本を「お忍び」で旅行中であったとうのが正しい。

そしてIBMから連絡があった時には、キルドールと連絡がまったくつかない…。

日本支社、全体でキルドールを懸命に探すが、IBMとの契約のタイミングを逃す。

 

1981年8月12日、IBM PCが発売される。そして、MS-DOSが提供され60ドルで販売される。

PCの世界の女神はマイクロソフトに微笑んだ。

もしも…キルドールがお忍びで日本に来ていなくても、いくつかの理由でIBMに繁栄をもたらすだけでこのようなPCの革命は起きなかっただろう。

そして、PCの世界は、いつまでたっても退屈なIBMのビジネスマシンで終わっていただろう。

ビル・ゲイツという存在がやはり大きかったと思う。

しかし、それ以上に QDOSを買収し、ペンキを塗り替えることを強く、ゲイツやアレン、バルマーに勧めた西和彦氏の商才を今後の歴史はもっと認めるべきだろう。

ビル・ゲイツのパクリの技術は、西和彦氏から教わったのかも知れないからだ。

ゼロックスはPARCでALTOを作りながら、Appleにパクられた。

AppleをパクったMicrosoft Windowsは、さらに成功した。

CRENの勤務時間をパクったティム・バーナーズ=リーは、wwwを発明する。

マークアンドリーセンはwwwをパクったブラウザ mosaic を発明する。

Yahoo!は、ネットスケープから検索機能をパクった。

Googleは、Yahoo!から 検索エンジンをパクった。同時に、ビル・グロスのgoto.comからリスティング広告モデルもパクった。

twitterは、Googleから、ノンビジネスモデルをパクった。

facebook、mixi、Gree、Orkutは全く同じ時期に、SNSのfriendster.comをパクった。

Sumsong はAppleからスマートフォンのUIをパクった。

IT産業はパクりパクられの歴史の積み重ねだ。

訴訟している暇があれば、それよりもさらに革新的なものを生み出せばいいだけだ。