日本の政治・官僚システムを描いた映画「シン・ゴジラ」

日本の政治・官僚システムを描いた映画「シン・ゴジラ」

「シン・ゴジラ」は、まさに、ニッポンの政治システムVSゴジラであった。
「シン・ゴジラ」は、ありとあらゆる未曾有の想定外の国難の権化を象徴している。それに、我が国が、対峙した時に、どういうプロセスで、どういう意思決定のシステムでアクションがとられるかが、このシン・ゴジラでは描いている。

通常、ゴジラ映画のプロットは、「ゴジラ+対応する政府+報道メディア+逃げ惑う国民」という比率だが、庵野+樋口シン・ゴジラは、対応する政府にフォーカスを絞り込んでいる。その中でも、最高決定者の総理大臣。関係閣僚、官僚、学者、そして外圧というそれぞれのレイヤーによって生じる意見の衝突もシニカルに描いている。

1954年の初代東宝「ゴジラ」のオマージュもたくさんだが、現在の法律によって、縛られている自衛問題もこの映画が一番こだわりを持って描かれている。現在の自衛に関する法律が、巨大生物を想定して作られていないなどの庵野総監督ならではの指摘も垣間見せる。総理大臣、東京都知事の役割などのセクショナリズム、そして、国連決議となった場合の想定に至るまで…。

非常時の社会システムの決定者とプロセス、それをささえる官僚たちと、311東北大震災を彷彿させる御用学者たち。あの311の時の、連日の記者会見もこのようにおこなわれてきたのだろうと類推させてくれる。「シン・ゴジラ」は憲法改正問題も含めて、この国の社会システムは、本当に機能しているのかと、我らニッポンに問いかけている怪獣映画ではなく、政治映画であった。

明日は、東京都知事選挙の投票最終日、あの都知事ポストに誰がいたら東京が守れるのかとも思い、候補者を再検討したくなった「シン・ゴジラ」であった。