最近、いろいろんなブログで、ストリートビューを使って紹介しているサイトがある。
写真もありながら、そこの場所の地図へもリンクが貼られるので非常に便利だ。いや、写真そのものが、地図つきリンクと言ったほうがよい。
そこで、自分の神戸周辺を探していて思ったのが、過去の写真と対比して、ストリートビューの2年くらい前の写真と比較するのも面白そうだ。
特に神戸の街並みは、震災後すごくかわったので、ストリートビューで「千里眼」の目を持てるだけで、かわりゆく街並みをマウスだけで眺めることができた。
ストリートビューになくて残念なのが、いつ頃の撮影かがわかると資料性は高まると思う。それでなくてもプライバシーの問題が持ち上がるので、いつというヒモづけは期待できなさそうだ。
しかし、一番驚いたのが、ストリートビューで散歩(?)している父らしき姿を見つけた時だ。
もちろん、ストリートビューのカメラは、360度ビデオ撮影しながら、進んでいるわけだが、人間の顔認識センサーのようなもので自動的に人物の顔にはボカシが入っている(選挙のポスターも顔と認識してぼかしがはいるからすごい!)。しかし、自分の父親の姿は一瞬にしてわかってしまう。
元気そうでよかった…と、1年半程度前の写真を見て思った。不思議な感覚だ。
午前中に散歩していたり、工事中のころだから、撮影は1年半くらい前だということがわかった。
また、売却してしまった実家が、アリランという韓国料理屋さんになっていることもストリートビューでわかる。
もしも、これが、生のライブでみれたらなぁ…と思う景色がいくつかある。
きっと、死んだ人は、こうやってストリートビューを使わなくても、ライブな思い出の場所順番に見送ってから、天に召されるのかもしれない。
地図や航空写真では見えないものがストリートビューでは見事に表現されている。
写真ともちがって、高校時代の彼女の家なども、二度といくことがないけど、駅から、ストリートビューでトボトボ歩いて行ったあの頃の感覚をつい思い出した。
そうえいば、男は過去の想い出はひきづり、女は削除してしまうと、島田伸介の何かのテレビでやっていたぞ。
なんだか、ストリートビューは、人間の想い出の場所を、再構築する力を持っているのかもしれない。
これからのデジタル・ネイティブの人たちは、変わりゆく、自分の育った町並みも、ストリートビューで思い出すことができそうだ。
本当は、Googleでなく、こんなサービスは国や自治体がやるべきサービスではないだろうか?もしも米国と戦争するような国は、家の近くの路地裏まですべて、把握されていることに驚愕するだろう。
学生時代にホームステイさせていただいた家も発見!ご家族はどうしているんでしょう。だめだ!涙があふれそうになる25年前の想い出の地だ。
もう25年も前の話だけど…
そしてこちらが現在の湘南オフィス