HP、パソコン・プリンター事業の分社化スピンオフ発表

HP、パソコン・プリンター事業の分社化スピンオフ発表

コンシューマーにとって、HP(ヒューレットパッカード)と言えば、パソコンやプリンターの企業である。※日本では、[ホームページ]をよく[HP]と訳すが、まぎらわしいだけだ。

HPのパソコン、プリンター事業が、本社から切り離して分社化されるという。

2002年にHPは、大手パソコンメーカーであった「コンパック(COMPAQ)」を242億ドルで買収。
コンパックは、タンデムコンピューターズ(1997年)、DEC(1998年)を買収している。

脈々とながれてきた、ミニコンピュータの歴史は、パソコンへと集約され、今や、パソコン事業は、お荷物と化してしまったようだ。
本当にパソコンは、スマホやタブレットにこのまま駆逐されてしまうのだろうか?

Appleでさえ、[MacPro]といえば、ゴミ箱のようなコンパクトなマシンしか販売していない。デスクトップマシンは、モニタ一体型のiMacとMacMiniのみだ。
さらに、売上でいうと、MacBookシリーズのノートブックを入れても、13%足らずになってしまっている。
Macの事業でさえ、どうなるか将来は、まったくわからない。

IBMが中国に売却したレノボが、世界一となる時代。
2006年は売上917億ドル、IBMを抜き、世界1位のIT企業だったこともあるHPが、パソコンやプリンター事業をスピンアウトさせる。

企業再編の荒波は、全世界的にドラスティックな変化に対応できる経営者の采配を試していることだろう。

クリスマス商戦向けの[Windows8.1搭載のピンクの200ドルパソコン]がHPを救えるとも思えない。
しかし、これが、最後のHPのパソコンとなってしまうと思うと、感慨ぶかい。

米ヒューレット・パッカード(HP)はパソコン・プリンター事業を法人向けハードウエア・サービス事業から分社化する計画。

米インターネット競売大手イーベイは9月30日、電子決済サービス部門ペイパルをスピンオフすると明らかにした。

HPは以前にもパソコン事業を分離しそうになったことがあった。同社は2011年に英ソフトウエア会社オートノミーの買収を発表した際、パソコン事業の分離を検討していると述べた。だが当時のレオ・アポテカー最高経営責任者(CEO)を辞任に追い込んだ株主の圧力を受けて、HPは2カ月後に同事業を分離しない方針を示した。

関係筋の1人によると、分社後にホイットマン氏はパソコン・プリンター事業を手掛ける会社の会長に就くほか、法人事業を手掛けるエンタープライズ企業のCEOを兼務する。また、エンタープライズ企業の会長には筆頭独立取締役のパトリシア・ルソー氏、パソコン・プリンター会社のCEOには同事業の幹部、ディオン・ワイズラー氏が就く。

13年10月期のパソコン・プリンター部門の売上高は559億ドルと、HP全体の半分程度を占めた。激しい競争を背景に、同部門の売り上げは7.1%減少した。HP全体の減収率は6.7%だった。

米調査会社IDCによると、HPは昨年、出荷台数で世界最大のパソコンメーカーの座を中国の聯想集団(レノボグループ)に奪われ、2位に落ちた。

75年前にカリフォルニア州パロアルトのガレージで創業したHPは、売り上げの減少に歯止めをかけようと、ホイットマン体制下で複数年にわたる改革を実施している。パソコン・プリンター事業以外の売り上げは、法人へのサーバーやストレージ(外部記憶装置)などの機器とサービスの販売のほか、ソフトウエアと金融サービスで得ている。

HPの株価は昨年、大きく上げたものの、それ以前の数年や1990年代のハイテクブーム期の高水準を依然として下回っている。HP株は前週末3日に前日比2%高の35.20ドルで取引を終えた。この終値に基づくと、時価総額は660億ドル(約7兆2500億円)近い。

HPは減収を食い止め株価を押し上げるために、大掛かりな人員削減や経費節減を実施している。

ホイットマンCEOはクラウドソフトといった成長の見込まれる事業に分け入ろうとしているが、そうした取り組みは進んでいない。

HPはそのほか、ここ1年でストレージ関連機器大手の米EMCと合併に向け協議していたが、交渉は最近終わったとウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が報じている。交渉が実れば、時価総額1300億ドル規模の巨大企業が誕生するはずだった。

引用元: HP、パソコン・プリンター事業の分社化発表へ – WSJ.

メグ・ホイットマン

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

1979年から1981年まではプロクター・アンド・ギャンブルに勤務、ブランド管理の経験を積む。退社後はベイン・アンド・カンパニーに8年間勤務し、ヴァイスプレジデントにまで昇進。1989年から1992年まではウォルト・ディズニー・カンパニーの Disney Consumer Products 部門マーケティング担当シニア・バイス・プレジデントを務め、Discover 誌の買収や日本における最初のディズニーストアの開店を指示した。1992年から1995年までは製靴会社 Stride Rite Corporation の Stride Rite Childrens 部門社長を務め、1995年から1997年まではネット生花店 Florists’ Transworld Delivery の社長兼最高経営責任者を務めた。1997年から1998年まではハズブロの Preschool 部門のゼネラルマネージャーを務めた。
1998年3月、従業員数30人程度の規模だったeBayの社長兼最高経営責任者に就任[1]。退任する2008年3月までに世界的なインターネットオークション会社に成長させた。プロクター・アンド・ギャンブル、ドリームワークス・アニメーションSKGの取締役も務めていたが、2009年に辞任した[2]。
2002年、母校プリンストン大学に3000万ドル以上の寄付を行った。寄付金を元に、2007年秋に寄宿制カレッジの Whitman College が建設された[3]。
2009年9月22日、共和党からの2010年カリフォルニア州知事選出馬を正式に表明した[1][4]。2010年6月8日党の予備選挙で勝利し、同年11月2日の最終選挙で民主党のジェリー・ブラウン候補と闘ったが敗退した。
2011年9月22日、米国ヒューレット・パッカード前任CEOの退任に伴い、CEOに就任した。