1970年代のミュージックライフには、KISSにエアロスミスにクイーンにベイ・シティ・ローラーズとヴィジュアライズされたロックシンボルがたくさん。
そこに、遅れてやってきたのが、JAPAN という英国のバンド。
音を聞く前に、お母さん世代はヴィジュアルでノックアウト!
Japanのデビッド・シルヴィアンって知ってる?ってお母さんに聞いてみて!
…というのも、フォーリーブス、郷ひろみさん以来、たのきんトリオの登場まで、今では信じられないようなジャニーズ氷河期の時代があり、外タレ(外国タレント)に夢中の時代だったのです。もちろん、よしもとは関西だけで東京では誰も興味を持っていない時代でした。
JAPANを最初にミュージック・ライフで発見した時に感じたのは、ニューヨーク・ドールズのデビッド・ヨハンセンでした。
ストーンズや、グラムに、ドアーズに、時計じかけのオレンジテイスト
男子がメイクしているなんて、デビッド・ボウイとデビッド・ヨハンセンくらいでした。当時は…。
ミュージックライフのグラビアを飾った「JAPAN」というイギリスのバンドは、またたく間にアルバムが登場する前から話題に!当時のロック少年とロック少女にとってミュージックライフだけが情報源でした。
そして、ライブも決定し発売されたのが、
「果てしなき反抗 adolescent sex」
グラムロックのケバさでもなく、パンクの流行前期にSEXXの名前で、しかもJAPANだ。
デビッド・ボウイのフォロワーからも、T-REXフォロワーからも、もちろんドールズフォロワーからも注目されました。何よりも、ベイ・シティ・ローラーズやクイーンのフォロワーの転校組も多かった。
当時はとても、彼らはファッショナブルだったのだ。
ブライアン・フェリーを彷彿させるシルヴィアンのボーカル
スティーブ・ジャンセンのセンターメッシュも大流行!
ミック・カーンに憧れ、赤髪に眉毛なしも急増!
https://www.youtube.com/watch?v=O-WtdeEynnw
ロックでもパンクでもファンクでもない新しい音楽に飛びついた…。
しかし、日本の時代は80年代にはいり、よりポップへとむかった。
カルチャークラブ、メン・アット・ワーク、デュランデュランが登場してくる。
JAPANはさらに独自の音楽性へ進む…。
その後、デビッド・シルヴィアンは坂本龍一さんらとの共演を果たす。
デヴィッド・シルヴィアン ウェブサイト
http://www.davidsylvian.com/
https://www.youtube.com/watch?v=mC2gQwvAFPg
https://www.youtube.com/watch?v=TWeK9O3ZzRs