カズオ・イシグロ氏 ノーベル文学賞
日系英国人のノーベル賞の受賞おめでとうございます!
しかし、日本人がそんなに喜ぶ意味がよくわからない。
新聞が号外まで登場する必要があるのか…。
長崎出身という肩書で…。
どこまでが日本人で、どこからが外国人なのか?
長崎生まれ、5歳まで長崎。その後、渡英、英国に帰化。
長崎市出身、以外 両親が日本人だった…。
日本との関わりは極めて少ない。
日本語もお使いにはならないようだ。
それでも、「日本人」が受賞したことが、それほど喜ぶべきニュースなのか…。
日系英国人が受賞。
日系人が頑張っていることはすばらしい!
だったら、日本国籍にかかわらず、日系人をもっと応援しよう!
日系2世、3世ももっとリスペクトしよう。
たとえ言葉が通じなくても。
ワールドカップやオリンピック、自分の母国や出生地がメダルやカップを取ることは、嬉しいはずだ。ただ、それだけ。
日本人にとって、「日本」がすべて。生まれた、母国であり暮らし、育ち、働き、育み、死にゆく場。
それだけに「日本」が諸外国から評価されることに対して、ものすごい感動を覚える。それは、まだ追いつけ欧米諸国の、発展途上国魂が残っているからなのかもしれない。
日本の記憶…文学賞のカズオ・イシグロ氏「5歳まで母の日本語を聞いていたので女性の日本語は分かる、男性のは…」
ノーベル文学賞の受賞が決まり、笑顔で取材に応じるカズオ・イシグロ氏=5日、ロンドン(ロイター)
今年のノーベル文学賞に決まった長崎市出身のカズオ・イシグロ氏(62)。代表作「わたしを離さないで」は、日本で舞台やテレビドラマになるなど、国内でも親しまれている。日本人の名前と顔をもつ作家は、5歳まで暮らした日本での記憶を懐かしむかのように、初期の作品の舞台に日本を選び作家人生をスタートさせた。
http://www.sankei.com/life/news/171005/lif1710050061-n1.html
ノーベル賞とは…
世界的なアウォードである、ノーベル賞もピュリッツァー賞も、なんだか浄財としての要素がとても強い。
ノーベル賞が画期的なのは、すべて利息で運営しているところだ。
ノーベルが死んでも遺産の利息は働き続けて世界を鼓舞させているところだ。
ノーベル賞(ノーベルしょう)は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞である。物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ノーベル賞
アルフレッド・ノーベルがなぜ、ノーベル賞を創ったのか?ノーベル賞は売名行為?
※諸説あります…。
アルフレッド・ノーベル(1833年10月21日 – 1896年12月10日)はスウェーデンの発明家・企業家であり、ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬の開発・生産によって巨万の富を築いた。
しかし爆薬や兵器をもとに富を築いたノーベルには一部から批判の声が上がっていた。1888年、兄のリュドビックがカンヌにて死去するが、この時フランスのある新聞がアルフレッドが死去したと取り違え、「死の商人、死す」との見出しとともに報道。
自分の死亡記事を読む羽目になったノーベルは困惑し、死後自分がどのように記憶されるかを考えるようになった。
1896年12月10日に63歳でノーベルは死去するが、遺言は死の1年以上前の1895年11月27日にパリのスウェーデン人・ノルウェー人クラブにおいて署名されていた。
この遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94%、3100万スウェーデン・クローナに及んだ。
周辺の人々はこの遺言に疑いを持ったため、1897年4月26日までこの遺言はノルウェー国会において承認されなかった。その後、彼の遺志を継ぐためにラグナル・ソールマンとルドルフ・リリェクイストがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行った。賞の名前はノーベルを記念してノーベル賞とされた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ノーベル賞