[N]秋の日の旅立ち

浦和レッズが好調ということもあり、レッズファンのコグレさんのサイト「ネタフル」を見たら、訃報が掲載されていました…。

ブロガーでもあり、ネット知人であるネタフルのコグレさんのお母様がお亡くなりになられました。
自分を世に送り出してくれた人を、世から見送る辛さはついつい自分の3年前を思い出しました。

「葬儀におけるビジネスチャンス」というコラムを書きましたが、葬式ってどうして、これほどにまで金がかかるんだろうと思ってしまいました。
コグレさん、悲しみの中の葬儀とそれまでのバタバタかと思いますが、神様からいただいた貴重な休みの時間を有効にしてくださいね。

ブロガーが、「死」という誰にもいつかはおとずれるイベントに対峙した時に、どうその事実を綴るのか…。また、そのプライベートをどこまでパブリックにすればいいのか…。

誰にも必ず「死」は訪れる。そして、このボクにもだ。そして、その日はデスノートの死神にはきっと見えていることだろう。

ブロガーは死んでも「ブログ」を残す。

きっと、ボクが死んでもこのブログは、クレジットの口座に残高がある限り、シックスアパートは残してくれることだろう。このブログのIDとパスワードを「もしよかったら、更新してほしい」とボクが死んだ場合の重要な書類一式の中にいれておこうと思う。長女か次女が、僕が亡くなったことを知らせるエントリーによって、RSSなどで、ボクの知人や読者には伝えることができることだろう。

彼女がこのブログを引き継いだとして、将来、彼女が子供を産み、その子供がまた子供を産みとなると、きっとブログは先祖代々、家に伝わる、「家系ブログ」となることだろう。親類、縁者との相関的リンクがあったり、いろんな血縁関係のネットワークもみえてくることだろう。

もしかすると、ブログは現在の墓メディアよりも、強力に故人と残された家族との想いを結んでくれるメディアになるのかもしれない。かつては、墓もそうであったように。しかし、現在の遠くの墓の永代使用料を払うよりも、葬儀に集まった人たちのメッセージを収録し、故人の「永代ブログ」を作ったほうが、遺族の思い出になるのかもしれない。
携帯でもゲーム機からも弔いに参加できるのだ。ありがたいとか、ありがたくないとの判断だけではなく、気持ちの伝え方にも選択枝があっていいはずだ。
「まもなく、3回忌になります」などのメッセージも自動的に登録者に流すこともできただろう。

ネット時代の故人とのお別れ、そして、家系とのつながりにも、もっとユーザー視点が必要かと思った。

「神田教」も、すでに3年経過していた。早いものだ…。

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