ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画から読みとく「ゾンビ型社会」

ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画、1968年「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が公開されてから今年2015年で47年になる。モノクロながら、新たなゾンビというモンスターのデビューである。

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド (1968年)

実質的には1978年の「ゾンビ(Dawn of the Dead)」が現代版のゾンビのルーツとなっているので、約37年を経過したこととなる。

ゾンビ(Dawn of the Dead (1978年)

やはりロメロの社会風刺は、大量生産大量消費、物質型文明のスーパーマーケットに籠城することにより、生きていける人間こそが、逆にリビングデッドなのでは?というメッセージを感じ取ることができる。

死霊のえじき(Day of the Dead) (1985年)
人間よりも人間らしいゾンビが登場する。

ランド・オブ・ザ・デッド (2005年)
貧富の格差をタワーマンションを舞台にして描く

ダイアリー・オブ・ザ・デッド (2008年)
ソーシャル時代の個人メディアを通して、記録することの意味とは?

サバイバル・オブ・ザ・デッド (2009年)
ゾンビの存続方法はありえるのか?対立する人間の論理構造を描く

ジョージAロメロは、常に、「ゾンビ」というメタファーで社会の歪みを表現してきた。人間の「煩悩」や「欲求」などだ。
ゾンビ側には感情がない。ただ、ヒトを食いたいだけだ。常にシンプルだ。
一方、人間側は、食われない為にいろんな行動を考える。

仲間とは?別のグループとの希少な食料や居場所の争いなど。ゾンビよりもむしろ人類同志との争いに結局は翻弄してしまう。

これはどのゾンビ映画にも描かれる人類の馬鹿さっぷりだ。よほどゾンビの世界のほうが争いが少ない。

限られた戦力で、限られた資源で、限られた人数で、いかにゾンビから逃げるか、ゾンビを駆逐するか、ゾンビと共有するか?ゾンビと融合するのか?

ゾンビ映画を見ることによって、終わりのない戦争の論理構造が見えてくる。

 

 

 

2002年の「バイオハザード」は科学兵器から派生したゾンビが描かれた。

2002年の「28日後」28 Days Later  

ダニー・ボイルは、人間のオスの残虐性を描いた。

2004年の「ショーン・オブ・ザ・デッド」によって、ゾンビがコメディとなった。

 

ゾンビ映画のルールを作ったジョージ・A・ロメロが作品に込めた社会風刺の姿勢
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20081112/1020848/?rt=nocnt

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です