もしもマリオが障害者だったら…スーパーマリオで考えるバリアフリー

バリアフリーって障害者の為だけにあるのではなく、いつか歩けなくなった時のためのみんなのためのもの。

健常者で元気な人だけしか、超えられないゲームのバリアを、クルマ椅子の視点でおきかえた動画のもたらす意味は大きい。

せっかくの目の不自由な人のための黄色のボコ点通路も、商店の看板やスマホ歩きの人たちで塞がれている。
歩けなくなった時のことを考える祝日とかに変えたほうがよいのかも。

「敬老の日」9月第3月曜日
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%80%81%E3%81%AE%E6%97%A5

「老いに敬う」概念がピンとこなくなっているのかも。
むしろ「バリアフリーの日」とかにしたほうがよくないだろうか?