●暇がこれほどまでにつらいなんて…
また、いつになったら仕事ができるんだろう。ボクは拘置所に遊びにきたのではなく、労役しにきたんだぞ! と声を大にして言いたい。給食係は意外に楽しそうだ。拘置所内には他にもいろんなところで、労役をしている先輩たちがいる。なんだか、「猿の惑星」で働く人間のようだ。手術をされて猿に反抗できない人間に成り下がってしまっているんだけどネ。
「ワニ分署」などで見た世界とはかなりちがう。ここもひとつの社会としてモメ事ひとつ起きていない社会だった。それにしてもなぜ、雑居房に入れなかったのだろうか? モーホーさんに狙われるからか? もしくはそっち系に思われたのか? まあ、ケーシー先生が来たら聞いてみよう…と思った時にアイデアがひらめいた! そうだ! ブザーで呼べばいいんだ。部屋には万一の時に呼ぶブザーが設置されてあった。用事がある時に使うそうだ。
しかし、そんな質問くらいで簡単にブザーをすると、ケーシーは、ユナイテッド航空のフライトアテンダントよりもイヤーな態度をされそうなので、お願いした「使い捨てのコンタクトレンズ」を使いたいんですがという質問を追加して、ボクはブザーを押した。鳴ったかどうかがわからないので、5回くらい押してみた。
そんなことをして遊んでいても、一向に時は経ってくれない。今は何時なんだろう…。暇だなあ。パソコンとネットがあればここは旅館以上に幸せかもと思った。規則正しい人間ドックホテルにしてもいいかなあ。もしくは禅を習得で
きるとか、拘置所+αのビジネスモデルを考えていく。ギターがあれば上手になるだろうなあとも思った。
すると体感時間30分ほどで、ケーシーがやってきた。ケーシーの顔には、「お前ごときが俺様を呼び出しやがって」という文字がモリサワの見出しゴシックほどの大きさで書かれていて、「なんのようだ? カンダ!」という。そこで空気を読み取り、ボクは、質問の順番を突然変えた。
「あのう…ですね。お願いしていました。使いすてのコンタクトレンズを…」と言うと、ケーシーは自分の非を認め、「ああ、そうか、そうか、目が見えないんだ…。すぐにもってきてやるからな!」といい、ゆさゆさと体をゆらして
いってしまった。「なぜ独房か?」というケーシーにとってどうでもいいような質問はそれからにした…。本当はそちらのほうが大事なんだが。毎日とりかえていないけど、こういう時には、ワンデイアキュビューはブザーのいい口実となった。
しかし、それからしばらくしてもケーシーは帰ってこなかった。多分、ケーシーは何かの目的で動いていても、他の用事が入ると、その目的を見失ってしまうタイプのような人間だった。それはそれでいい、暇で死にそうな時にブザーを押す権利を僕はゲットしたのだから…。
それにしても暇がこれほどまでにつらいなんて…。たっぷり寝ているので寝ることすらできない。仕事がしたいと願った瞬間。優しい先輩が、仕事の先輩と刑務官を連れてきた。
「200番さん、これから仕事の説明をします」と台本を読まされるような説明をしはじめた。はじめてドアの鍵があけられた。「脱走するなら今だ!」と思ったが、ダースベイダー卿の要塞のようなところなので、すぐにあきらめた。
「小机をこちらに向けて」と言われて向けると、どさっと紙の束が渡された。
「200番さんの仕事は”封筒はり”です」と言われた。
本当にこんな仕事なんだと納得しながら、初めてアルバイトをした時のような、妙な緊張感を感じることができた。しかし、何よりも、「封筒はり」でも暇とサヨナラできたことがうれしかった。
次回へつづく…。
東京拘置所獄中記-5
たった3日間の出来事でしたが、一ヶ月以上に引っ張れるほど、
中身の濃い体験でした。週刊アスキーでも恥ずかしいイラスト入り
で4週のはずが6週目の連載となっています。
さてさて、封筒はりの仕事がまわってきたボクですが…。
「200番さんの仕事は”封筒はり”です」と言われた。
本当にこんな仕事なんだと納得しながら、初めてアルバイトをした時のような、
妙な緊張感を感じることができた。しかし、何よりも、「封筒はり」でも暇と
サヨナラできたことがうれしかった。
先輩の受刑者さんから、丁寧に封筒はりの方法を伝授される。先生という名の
看守さんは、後ろでボクたちを冷ややかに見守っているようだ。
しかしこれがなかなか難しいのだ。
たぶん、角2型封筒の原型を作っているのだが、おそらく紙厚は200kgは
ありそうで、こんな分厚い封筒はみたことがないほどだ。どこで使う封筒なんだ
ろうと、またまた疑問が沸いてくる。
紙は硬いし、折っていくポイントがなかなかわからない。しばらく、
先輩に見てもらいながら、OKをいただくようになってからはスムーズに封筒
が折れるようになった。しかし、ボクの段階は封筒を折っているだけで、とて
も封筒には見えなかった。そこには、オリガミのカブトの途中の段階が、積み
重なっていくだけだ。
ざっと封筒は300通あった。先輩に教えてもらったとおり、しばらくやっていた
が、単調なので、30分ほどで(正確な時間は時計がないのでわからない)さら
なる業務フローの改善とイノベーションによる「神田方式」で両手で一度に3毎
重ねでやってみたら、品質は変わらず、スピードは一気に3倍となった。
途中で進捗状況を確認にきた、先生と先輩は、ボクの仕事の速さに驚きを隠せず、
「おお、早いですね!」とホメてくれた。はじめてのおつかいで褒められた子供
のように、心の底から嬉しかった。異業種での業務で褒められたからでもある。
しかしだ。調子に乗って、早く仕事が終わると他の業務に昇格するかと思えば、
さらに300枚同じ封筒を持ってこられてしまった。
そのタバを見たときに、「ヤバイ!」と感じたが、もう遅い…。早く仕事をやっ
てしまったおかげで単純作業が2倍になっただけだ。こうなるとモチベーションは
1/4に下がり、調子に乗った自分を呪った。
途中に休憩がはいって、ラジオ体操などができるが、そんなラジオ体操など、
やる気分ではない。紙が手の脂を吸い込んで指先はだんだんガビガビになって
きた。ニベアもなければアトリックスもここにはない。こうなると、もう辛い
だけの仕事だ。ペースを落とせば時間は稼げるが、仕事はつまらない。ペースを
上げれば仕事量を増やされる。
この瞬間に神の啓示があった。これがきっと公務員の「お役所仕事」の起因では
ないだろうか?と。お役所仕事とは、怠けたいからではなく、システムがモチベーション
を継続できないので、自分が飽きずにそれ以上無駄なことがないところの損益分
岐点とのトレードオフで発生しているような気がした。
16時で終業のブザーがなった。1日の仕事が16時で終わってしまった。
仕事中は、お茶が配られたり、アイスもあり、バナナもあり、事務所で原稿と
取り組んでいる民間人よりも、拘置所の方がいい暮らしだと今も思い出すほどだ。
拘置所の独房にネットとPCがあれば、外出もできず、仕事にどれだけ専念できるか
と思うほどだ。
16時30分。夕食の時間だ。もう慣れたもので、洗いたてのアルマイトの弁当箱に、
味噌汁用のボウル、おかず用のボウルを並べ、正座して配膳を待つ。この瞬間だけは、
自分が「忠犬ハチ公」のような気分になる(笑)。
どっさりとテンコ盛りされた玄米に、じゃがいもとさやインゲンと豆腐の味噌汁。
鶏肉のケチャップソテーが配膳された。
鶏肉のケチャップ味がちょっと薄いのと、味噌汁にあともう少し、イリコ出汁が
効いていれば、「大戸屋」メニューに出せるところだ。
17時、食事のあとかたづけで終わり。
ラジオの時間で、ニュースを聞く。アテネオリンピックの話題で満載だった。
本来であれば、現地に取材に行っていたはずなのに、俺はどうしてこんなところで
不自由にラジオを聴いているのだ!?と怒りと疑問を哲学的に分析しながら、古き
アテネの哲人たちの想いをはせる。
しばらくして、先生が来て、心情の調査をかねて話をする。面会者リストを作るので、
面会に来る人の連絡先を書きなさいという。しかし、こちらには、歯ブラシとタオル
しかない。面会に来てほしい人のアドレスはすべて携帯電話の中にある。
それで事務所の元スタッフにお願いをしておいた名前を適当に書いて提出してみた。
彼女の名は「田中敏子」である。もちろん、実在はしない。
しかし経理担当用のメールアドレスで使用している。
便利なのは、田中あてに電話がかかってくるのはすべて経理関係のことだと瞬時に
わかる。4knn.tvの社内では昔から「バーチャル田中さん」として通っている。
何かと便利だ。つまらない銀行からの電話も田中さんが留守として間接的に
直接フォローができる。
原稿のバックアップもCCでつけているので、よく田中さんってどんな人と聞かれるが、
この世に存在はしていない。他にもいろんなバーチャルメールアドレス社員がいるが、
サービスのクレームなどをする時にはさらに約立つ。
4knn.tvのドメイン名を持つ社員のCCをたくさんぶらさげて、クレームのメールを
入れるのだ。するとクレーム先の担当の対応が早いのだ。特に某ISPの態度は急変した。
たくさんの人も前で自社のサービスにクレームが付いているという心理的なプレッシャー
を相手に与えることができるからだ。
これは、クレーム以外にも使えるビジネステクニックとして実用新案にしたいほどだ。
話を戻そう…。
要するに、面会は、記憶にとどめておける人くらいしか来れないようにしているのだ。
こちらはこんな時もあろうかと思って、作戦どおり、家族でない、まったく他人の
ライターさんに面会に来ていただき、第一項をたった5分の面会時間で口答で伝えて、
blogに掲載することができた。
KNNポール神田さん、東京拘置所実況レポート(1)
http://knn.typepad.com/knn/2004/08/knn.html
KNNポール神田さん、東京拘置所実況レポート(2)
http://knn.typepad.com/knn/2004/08/knn2.html
拘置所のセキュリティレベルってこの程度のものなんだ。とハッキングした気分で
少し嬉しかった!
しかし、夜の18時から21時は魔の3時間である。独房では、本当に何もすることがない。
どれだけ雑居坊であれば、いろんな諸先輩方の人生をインタビューできるではないか!
また、一度こういう場所で世話になると、社会に復帰しても仕事がないので、組関係の
リクルーティングの場になっているとも聞いた。
罪を償いにきたのに、社会復帰できずに、組関係に流れていくというのでは、拘置
所に税金を注ぐというということは、悪事のために税金を使っているようなものでは
ないか?天下の公僕と「や」の世界を、マイケル・ムーアばりに暴くドキュメンタリー
は日本でもきっと受けるかもしれない。コンクリートで東京湾に埋められる前に一本
くらいはチャレンジしてみたいと思った。どうせ、いつかは死ぬのだから…ビクビク
とリストラや年金問題などの将来に不安を覚えながら、小さく生きるよりも、自分が
主演している映画の主人公としてふさわしい生き方の方をボクは選択したい。
地球の歴史は46億年前。人類はたったの15万年前年前。
地球から見ると、45億9985万年になってちょっと登場しただけの生物です。
http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/rika-b/htmls/age_of_earth/
また、地球の寿命は太陽とともにあと50億年ほど。地球も人間でいうと、
ようやく40歳になったところというところです。
これから老けていく地球に対して、ボクたちが恐竜と同じ道をたどらない
ように、慎重にケアしていく行き方も大事でしょう。
ましては人が人を裁くというのであれば、検察も裁判も、刑務所や拘置所が
1日いるとどんな気持ちになるか、拘置されて経験を体験して求刑すべきかと
覆います。それを前例では2年だったとかの人のモノサシで測るのではなく、
自分の体感時間でその長さを測っていてもいいのではと感じています。
7時30分になって、15分だけのお風呂タイムを知らせてもらった。
お風呂よりも独房から出られるのが嬉しい! しかし、お風呂もなんと、
独房風呂であった。しかし、キレイなお風呂だ。シースルーの大きなアルミ
サッシの窓があって着替えるスペースも看守の見守る廊下から丸見えだ。
まるで昔のラブホテル状態だった。そこから独房風呂にはいると、かなり
熱めでいい湯に入れた。シャンプーとボディソープがあり、シャワーで早め
に洗い流して、湯船に時間をかける。15分間しかお風呂に入れないなんて、
とても慌しい。まるでソー○ランドのようだ。…のように、ピピピとタイ
マー時間を教えてくれるのかと思ったが、やはり看守が「15分〜!15分〜!」
と、野太い声でお知らせたもうたのであった。
タオルで拭いて、サンダルでもどるとボクがシャツをズボンの上に出して
いたら、注意されて、ズボンの中に入れるようにと忠告された。とても
裸の大将の山下画伯のようないでたちなので、いやだったが、ここでは、
おとなしく山下画伯の姿になった。また、サンダルもかかとをペタペタ
いわさず、緊張させて歩くようにとの事だった…。ふぅ…。
お風呂が扱ったせいか、とても凍ったジョッキの生ビールを一気に!と
思ったが、当然そんなものはない。テレビもないパソコンもない。
音楽もラジオの時間が1時間だけだった。
「サラリーマン金太郎」の第1巻が回覧されてきた。ボクは活字と漫画を
むさぼり読んだ。あまりにも時間があるので、読み返した。まだ時間があ
るのでさらに読み返した。読むたびに本宮ひろし氏のロマンを感じる。
「俺の空」でなかったことを感謝したい。
ようやく待望の21時の変化がおきた。しかし、消灯である。とても眠れる
状態ではない。体も頭も疲れていないからだ。何よりも拘置所でつらいの
は電気を消されてしまうことだ。他の牢からは、豪快なイビキが聞こえて
きた。そのイビキはまた、別のイビキをいざなうように繰り返していく。
その日の夜は、イビキで寝むることができない自分の夢を見ていたようだ。
なぜか、3度も読んだサラリーマン金太郎の友達役でボクも出演していた。
感化されやすいヤツだ。
3日目の朝。7時のラジオのベルで目が覚めた。窓からは明かりが見えている。
クーラーが聞き過ぎて寒い…。ラジオでは真夏日で寝苦しい熱帯夜が続いたと
いうが、拘置所は南極のようだった。
7:05 「点呼!」 「おはようございます!200番神田敏晶!」で朝の仕事は
終わり。
7:30 朝食。とても動いてもいなくて、3食も食べないので苦痛だ。しかも朝から
パンではなく、鮭の切り身にモズクに納豆に、玄米。信じられないほど豪華な
朝定食だ。幕張プリンスのバイキングと勝負させたら拘置所が勝つかも知れない。
また午前中は暇でのんびりしていたら、先生から購買品目の説明があった。
部屋にあるマニュアルでは、日本語が英語の翻訳のようで意味がよくわからなかった。
購入するものは月曜日にマークシートに記入すると届くのは木曜日であるという。
もちろん土日は休みだ。いつでも申し込めるのではなく、申し込み日も文房具は
木曜日にしか申し込めず、届くのは翌週の火曜日だ。ボクがいる間には、ノートも
ボールペンも届かないではないか。これはきっと計画性を持って生活を強いるための
システムだったと思った。
そして、その後、先生の口から恐ろしい言葉を聴いてしまった。「月曜日から盆休み
になります。労役はありません」という。
頭の中が真っ白になってしまった。ヒマつぶしとなる労役が盆休みでなくなるという。
一週間の滞在にして、雑居坊での出来事を取材して…と描いていたが、この生活であと
の日々をすごすのはボクには辛すぎる。30分も黙っていることができない性格がたたられる。
その日の面会に来た、バーチャル田中さんに、リングにタオルを投げてもらうことを
お願いした。リングを去る理由は「お盆休みに負けたから」だった。
お昼を食べた後、その日でお盆前の最後の封筒はりをして、お盆休みまでに出所できな
かったらと思いながらいると、荷物を持ってきなさいと別の先生に言われた。
思わず、「出所ですか?」と聞くと、「わからん」といいながら、ダースベーダーの
要塞を歩いていく。途中何人かの先輩と合流しながら、エレベーターに向かう。なかなか
の遠出だ! 散歩に連れて行ってもらえる犬の気持ちがよくわかる。
到着は、初日に来たロビーである。桑田と長門のあわせた先生もいた。「出所」を確認した。
時計を久しぶりに見た。13時17分ほどであった。時を知ることの喜びに浸りながら、出所準備
をすることとなった。
本日の出所組はボクをあわせて4人。ボク以外の3人は20代中盤という感じ。会話ができないので
彼の持ってきた膨大な手紙の束を見て、その年月をうかがい知る。取材感覚で来ていることを
初めて申し訳ないと感じた。3人はかなり先生に忠実であり、ボクが一番反抗的であったかも
しれない。「ES」という新聞広告で集められた被験者を「看守役」と「囚人役」に分け、
模擬刑務所で生活をさせるドイツ映画があったが、まさにそのロールプレイングの状態が
東京拘置所でも成立している。
公務員であるだけの看守の先生のお言葉はなぜか「絶対的服従」をいつも強いている。
なんらかの理由で服役しているボクらの「辞書」からは、「反抗」という言葉は破り
すてられていた。「人権」がどうのこうのではない、最初から「人権」なんてページは
辞書に載っていなかった。
結果としてたったの3日間だったけれど、どうしてあんなにエラぶりたいのか、不思議
である。犯罪者だからか?しかし、あなたがそれに対して、エラくなったり、横柄に
振舞う権利はないとボクは思った。自暴自棄になって暴れたい気持ちもあるが、良識な
市民として、大人として、この実情をなんらかの形で社会に問いかけたいと感じた。
狭い、ロッカールームに入れられ、1時間も待たされる。「俺たちに人権はない。」
トイレに行くのも、いやいや対応される。用意ができてから独房から呼び出せばいい
と思ったが、彼らにはそんな道理は通じない。ボクたちは犯罪者なんだから。
ゴザの上に3日前の衣服やカバンが戻ってきた。シャツを着て、ズボンをはいていく
うちに、元の自分に魂が変身していくのがわかる。ようやく着替え終わると、悲壮感
のある自分ではなく、強い自分を取り戻した。
最後の先生に、出所後の予定を聞かれる。「会社に戻ります」というと、「会社で
仲良くしてもらえるか?」とやさしい言葉で聞かれた。ちょっと嬉しかった。
「自分の経営している会社なので」と答えるとニコっとしていた。人生イロイロ、
看守もイロイロだ。「電車賃はあるか?」「宿はあるか?」と他の3人にも聞いている。
まるで「砂の器」の巡査さんだ。
私服になった4人は厳重な出口のゲートをひとつづつ、超えていく。ボクはなんだか、
「ひとーつ」、「ふたーつ」、「みっつー」と数えていた。人間として生まれ変わる
門が開いていくような気分だった。
面会ロビーには、たくさんの家族がボクたちを待ち受けていた。待っていた家族は、まるで
拉致家族が開放されたかのうように、ボク以外の3人につめかけて、「ご苦労さんやったねー」
「あんじょうしてた?」「お疲れお疲れ」と銘々に声をかけている。
密かに、出所仲間として、携帯で記念写真を撮ろうと思っていたが、良心が停めた。
一歩、外に出ると、すでに17:00すぎなのに、灼熱地獄だった。まるで東京拘置所の
中は、別世界のようだった。工事中の階段を超えてから、差し入れの雑誌が届いてい
なかった事を電話で確認でき、差し入れの雑誌を拘置所のロビーに取りにもどった。
案の定、待たされる。待たされる。
待たされている間に、なぜか気持ちが妙にのど元にひっかかることに気がついた。
17時で業務が終わりだったのに、新たな案件がきたので、如実にいやな対応だ。
「ここで待て」「すぐに来るから」「誰が届けた?」「先生に聞いたか?」と出所して
いるにもかかわらず、まだ犯罪者扱いされている。というか言葉が卑下している。
それが服役を終えて、すべてを白紙にもどした人間に対する態度なのか?
また、差し入れをしかるべき場所に迅速にデリバリーできなかった組織人が言うべき
セリフだろうか?
一番若手の看守に
「出所してもまだそのような口の聞き方をされるんでしょうか?」と他の看守にも
聞こえるように、聞いてみた。
3人の看守すべての言葉使いが一斉に替わった。
少し、小気味よかったが、すぐに、なぜ、普通にしゃべれる人たちが、あえて卑下する
ようしゃべるように教育されているのか、その組織に問題があるかと感じた。
やはり時間外で対応できず、後日送付するということで話をつけた。
3人の看守は、「おつかれさまでした」と今度は銘々が丁寧にお辞儀をしてくれた。
百貨店の閉店後によく見られる、丁寧なんだが、心のこもっていないお辞儀だった。
最寄の小菅駅に着いた。
電車に乗ると、窓には、夕日に照らされる東京拘置所がそこにいた。
ボクの夏が終わった。