「YouTube革命」それは、情報メディアの市民革命

Toshiaki Kanda 2007年04月05日 木曜日
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「YouTube革命」、それは情報メディアの市民革命

「YouTube革命」の元となった原稿より…。考えてみるとメルマガではYouTube革命についてのコラムをたくさん紀行していたが、自分のブログではYouTubeに関する記述が少ないことにふと気づき、ここに転載しておきます。KNN Archive で「YouTube」 で検索していただいてもポツポツでてきます。

YouTubeという動画共有サービスは、「動画を共有する」ことによって生まれる新たなビジネスの火蓋を切った。映像の世界にも「ロングテール理論」が実は成立していると考えられる。
YouTubeの映像は、まさにロングテールのテール部分を代表している。

もちろんヘッド部分は、地上波テレビである。そしてCS放送やケーブルテレビと続く。ボディ部分となると、映像の世界では、ぽっかりと空洞化されている。そしてテール部分には「投稿動画」が数千万種類の動画コンテンツとして存在する。

テレビを視聴していた人たちも、確実にネットに接続し、テールの映像を楽しみはじめた。そこでは決して誰も、テレビと同等のコンテンツを求めてはいない。テレビでは見ることができない何か違うものを期待しているのだ。さらに、テールにあるコンテンツは、ニッチであり、セグメントされている。コマーシャルで紹介された製品をさらに深く紹介し、便利な裏技まで紹介するような番組も作成は可能だ。そして、ここでクリックされた製品がアフリエイトされれば、作者にも収益が発生する。すると、現在のコマーシャルの世界観はどのように変化するのだろうか?

アルバート・ゴア(元米国副大統領)が創設した米サテライトテレビ局「Current.tv」http://www.current.tv/ では、プロ、セミプロ、素人が賞金1000ドルを巡ってCGCM(ここではVCAMと表記:Viewer Created Ad Message)をネットで投稿している。ユニークなのは、応募作品がすべて入賞と関係なく視聴できる点だ。そこで自動的にランキングも表示される。
トヨタのカローラ、Tモバイル(ドイツテレコム)、ソニーのmylo、マウンテンデューなどの製品が応募に賛同している。参加者は、賞金以外に、サテライトテレビで放送されることもモチベーションのひとつとなっている。
プロにとっては、賞金の1000ドルはあまり魅力的ではないだろう。むしろ、好きな製品のコマーシャルを作成し、公開することができる「自由」にむしろ魅力を感じている。

ロングテールの「ヘッドの住人(プロフェッショナル)」たちは、常にクライアントやテレビ局という貨幣経済における力関係によって支配されてきた。それが「仕事」という価値観でもある。

しかし、それと反対に「テールの住人」たちの表現は、自由であり、貨幣の価値というよりも、コミュニティにおける尊敬や評価、評判、自己表現、という金銭では得がたいものを得ることを目的としている。さらには、そのテールの世界観から、ヘッドとテールの間に属する「ボディの住人(CGM)」が誕生しはじめている。これは今までの「セミプロ」と呼ばれた層とは明確に区分けできる。

セミプロはプロを目ざしているが、プロになれなかった人たちである。ボディの住人、CGM(消費者作成メディア)の作成者たちは、プロを決して目指してはいない。テールの住人の世界観でありながら、、貨幣経済が後ろから追従してきたのである。

今まで、それらのテールの住人のタレント(個性や才能)は、気づかれない、もしくは、生産と流通のコストがあわなかったので、光が当たることがなかった。しかし、このYouTube革命後の世界では、それぞれが、マスメディアの消費者ではなく、「総自己表現社会」の主役となったのである。

ブログやSNSなどのWeb2.0はその主役のためのあくまでもツールなのである。前著、「Web2.0でビジネスが変わる」というのはWeb2.0の覇者がすべてを奪いさるのではなく、ユーザー視点で考えればすべて道が開けると解説してきた。

ブログなどにエンベッドされた情報や映像は、むしろユーザーの関心度を映し出す、「鏡のようなインタフェース」である。ユーザーの関心の窓を通して、本来のパーマリンクが映し出されているからだ。

そして、この「YouTube革命」においては、それらのユーザーが自分の自己表現の名のもとに、自由にパーマリンクを連ねて表現することが可能となっていく。企業もそのユーザーのインタフェースに「製品」や「サービス」が採用されることが一番重要となるからだ。ネットのサービスもあくまでも主役ををもりあげるためのツールとなる。

そして一番の特徴が、自由に表現していく活動を通じて、いつしか貨幣経済にも浸透していくということだ。これが、YouTube革命のビジネスモデル、いやシチズンモデルなのかもしれない。

産業革命以来、需要と供給、資本と労働のバランスにより、農耕社会から資本主義社会が形成されてきたが、デジタルのWeb2.0以降の新しい世界観において、「情報の生産と流通」の限界までのコスト削減化が新たな人間のライフスタイルを生み出そうとしている。その社会を生み出すトリガーが「YouTube革命」だとボクは考えている。

「総自己表現化社会」の前では、人々は自分の好みのコンテンツだけを検索視聴するようになるであろう。情報のセンサーは知人のSNSを経由して、より詳細な好みの情報だけが伝達される。しかし、詳細な情報を受け取る身はひとつであり、24時間は変わらない。目も2つしかない。結果として、自分に都合のいい情報ばかりがいつしか検索されていることとなる。また、秀逸な検索サービスはそれらを目指し、情報の偏食化にますます拍車をかけてしまう。

そこで重要なのは「ノイズ(雑音)」なのである。「YouTube革命」後のマスメディアの生き残る道は、情報の偏食を防ぐためにいろんなノイズを提供し続けることに需要が発生してくるだろう。自分では絶対に選ばない、検索しない、見つけられない情報をコンパクトに提供することにマスメディアの意義が存在する。

「マスメディアとCGM」、「ヘッドの住人とテールの住人」、「貨幣価値と評価価値」。YouTube革命という、情報メディアの市民革命は今まさに、動き出し新たな価値観をボクたちに与えようとしている。この変化を見極めるためには、自らが率先して、ユーザーとなり、参加してみることが重要である。もっともっと、インターネットの世界に深くコミットしていただきたい。


Category: コラム
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Toshiaki Kanda