【ネットリテラシー】ネット上の西暦のない記事は意味をまったくなさない

Toshiaki Kanda 2014年04月09日 水曜日
0 people like this post

スポンサーリンク


 

 【ネットリテラシー】ネット上の西暦のない記事は意味をまったくなさない

 従来の紙メディアに慣れている人であればあるほど、ネット上での記述で誤るのが、西暦や月を飛ばしてしまう事だ。

紙メディアと違って、ネット上のメディアにかぎらず、ありとあらゆるものは、共有され続けることを想定すべきだ。

 

新聞記事などでも、「今月」や「昨年」などの記述をよく見かける。これはすでにネット上に記事をあげている記者や校閲の力量を疑わざるをえない。

特に、新聞の組版上、今だに数字や英文が「全角」で記述されているのにも驚く。英語OSの端末で表記を見てみるべきだ。

             ↓

一体、これがいつの記事なのかがわからなければ、どれだけ心血を注いだ記事も無意味に近い。しかも、翻訳サイトを使って読む読者だっているご時世だ。

まずは、記事にかぎらず、ネット上にアップするテキストに関しては、必ず、西暦○○○○年の4桁を表記すべきだ。

省略して○○年などの2桁とかもあるが、2099年以降のことをまったく考えていない。22世紀のことなど、どうでも良いのだろうか?そんな企業はネット上に情報発信しないでいただきたい。

ブログにしても、今から500年後(26世紀 西暦2514年)、1,000年後(31世紀 3014年)、経過した時には、ボクたちの子孫である未来人が、過去の人の暮らしぶりを知るいい手がかり、足がかりとなるはずだろう。

たとえば500年前といえば、室町時代(14-16世紀 西暦1336-1573)から、安土桃山時代(16-17世紀 西暦1573-1603)。その頃だってすでに、西暦や世紀で考えないと、我々の元号による情報ではまったくアクセスさえできないのだ。

もしも、500年前にパーソナルメディアがあり、織田信長や豊臣秀吉や黒田官兵衛のブログが読めたとしたら、どれだけ素晴らしいことか、想像してみてほしい。

これからは、生まれた時からソーシャルメディアで誕生したことが、イベントとして、ソーシャルで親から共有される。

自分は知らなくても、自分のことを知っている他人は沢山いるという、まるで知名度だけは、芸能人のようなライフスタイルが当たり前になるだろう。

そして、自分の記憶のない時期の自分もソーシャルメディアでは言及されている。それを自分で検索して懐かしい写真とであい、涙することもあるだろう。

ネット上に、存在するすべての情報はアクセスできないと全く無意味なのだ。

facebookにどれだけ、日々のアツい愛情を注いでも、彼らがGoogleにすべてを検索させるか、彼らが全く使いものにならない、Bing検索を使えるようにTune upして、過去のポストにアクセスできるようにして、検索精度を上げない限り、facebookはこの数年で必ず、失速することだろう。誰もが、facebookのアルゴリズムで表示するかどうかは決められたくないからだ。

だから、現在facebookの日常をクローズドで安心と思っている人は、一度、すべての情報が検索できないリスクして検討もすべきだろう。

 

ハナシを戻すと、ネット上の記事には、必ず、最低限、西暦を半角数字で記述してほしい。イベントなどの場合には、曜日も付加したほうがよいだろう。 

 興味があってアクセスしたが、いつの情報なのかがわからない…(泣)。せめて西暦さえあれば、そこで判断できることがたくさんある。Googleでググれば済むハナシだが、すべての人が、?と思い、ググる時間コストを省略することも記述者の役目だと思う。

そして、何よりも、新聞社サイトのオールドビジネスモデルのしがらみだが、一度アップしたものを削除するのは、ネット上の情報構築においては、犯罪行為に近い。

クローラーが一度、インデックスしたデータは消せないという法律で取り締まってもらいたいほどだ。

 こんな新聞社は、あと数年で「その新聞社は見つかりませんでした」と表示されることだろう。

 

 

スポンサーリンク



Category: typepad
  • 0
  • 196
Toshiaki Kanda