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映画「借りぐらしのアリエッティ」 人間に見られてはいけない

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「借りぐらしのアリエッティ」
ネタバレ注意です!


六本木のトーホーシネマズで見てきた。
この六本木は、はいった瞬間にあのポップコーンの香りと人口滝のミスト臭が、21世紀の映画館という雰囲気にさせてくれる!中目黒に移転したので、渋谷の東急系の映画館にいくよりは、日比谷線一本で、広い六本木の東宝系に行く機会が増えてきた。

ジブリ作品は、もう今では、日本人としての教科書のような「文科省推薦映画」っぽく思いあまり、気がすすまなかったけれど、NHKの特番 を見て、アリエッティの階段シーンがどのように変化しているのかが気になって見に行った。

このNHKの番組が、ボクを「借りぐらしのアリエッティ」に駆り立てた…。

NHK「ジブリ・創作のヒミツ」 http://cgi4.nhk.or.jp/feature/index.cgi?p=RxZkIRCi&c=1

8月10日(火)総合 午後7:30〜8:4

 この夏、公開のジブリ最新作「借りぐらしのアリエッティ」、その制作の舞台裏の長期密着ドキュメントに加え、スタジオではCGを駆使しジブリ映画の魅力を徹底解剖する73分のスペシャル番組。

 
今回の作品は、脚本を宮崎駿(69)が担当、だが監督は36歳の全くの新人。これまで宮崎の下で活躍して来た敏腕アニメーターを大抜擢したのだ。その背景
には、新たな“才能”を育ててこれなかったという強い危機感がある。実は、これまでも幾人もの若手が監督を任されてきたが、宮崎はその強いこだわり故に作
品作りに介入、最後には乗っ取ってしまうことも多かった。そこで今回、宮崎は作品に介入しないと決めた。その一方で手助けなしで映画を作りきることを強い
られた新人監督には圧倒的な重圧がのしかかる

 師弟の心のドラマを描く密着ドキュメントに加え、スタジオでは見る者の心を揺さぶるジブリ映画の“絵に命を吹き込む”創作のヒミツを徹底的解剖する。

前半は、もう音、映像、とアニメ嫌いのボクでも、思わず、のめり込むほどの緊張感だった。

特に、人間の普段の生活音が、小人の立場で聞いてみると、恐ろしく怖い。時計の音、水の音。

「決して人に見られてはいけない」は、昔からの「ツルの恩返し」などのパターンだ。

お手伝いのおばさんが、ウザくて仕方が
ないけれど、悪役なき映画の唯一の悪役だから仕方がない。

「モスラ」映画ならば、小人を捕まえて、興業で金儲けを考えるけれども、昔は見えた小人が、再度見えた時の、大人の行動としてはとても理解できる。

ただ、主人公、翔の部屋に鍵をかけた時点で、家政婦は、自分の職を辞する覚悟があったのかもしれない。

子供の頃に見えたのに、見えなくなってしまうもの… 「となりのトトロ」のまっくろくろすけ と同じモチーフだ。

このモチーフは、モラトリアムの典型だ。大人になることで、得るものはたくさんあるが、子供の童心だけは二度と取り戻せない。いや、取り戻しにいってはいけないものなのだ。
それは、今までの人生の経験を否定することになってしまうようなものだ。

むしろ、自分にはわからないような、子供の感性を認める余裕が、大人になってからは、必要なのだ。

アリエッティも、保守を臨むならば、絶対に人間に近づかないのが理想だ。しかし、好奇心と責任感の誘惑には勝てないのが「若さ」だ。少女から大人への成長の階段。その気持ちがジブリ映画のコアコンセプトなのだろう。

父に相談することもできたが、父も母のためには、嘘だってつく。アリエッティにとって、家族を守るためならば、勇気をもって、嘘をつくことは正義だったのかもしれない。

それに対して、翔は、祖父の話を聴き、一方的に、豪華なシステムキッチンをプレゼントするという奇策に出た。

天井は音を立てて歪み、ホコリまみれで、家が変形しながら、翔から台所が小人たちにプレゼントされる。

時として、人間は相手に良かれと思って、相手の気持ちを考えずに、大迷惑な行動をとってしまう。特に子供は、自分だけの思考の範囲内で、虫や動物たちに危害を加えてしまうことが多い。

物語は淡々としたまま、母親がいなくなるという事件が起きてしまい、人間と小人という関係で、ある共同作業を行うこととなる。

この映画のハイライトだ。

そう、ガメラに乗った少年や、キングコングに乗る女性と同じ状況だ。

小人という視点で、人間界を見渡すということはなかなかできるものではないけれど、それを体験するには劇場でしかないだろう。

おそらく、テレビやDVDで見てもこの映画の価値はない。

そして、少年もこの事件をきっかけに、大人へと旅立つこととなる。

惜しいのは、寡黙なお父さんのキャラと、父の命の恩人でもある スピラーの登場だ。藤原竜也の声は何度聞こえたか?

翔に、矢を向けるスピラー。アリエッティと翔との関係に対して、人間と小人 以外のものを感じていたはずだ。

ピーター・ジャクソン版のキングコングに心を向けながらも恋人に戻ってしまうナオミ・ワッツの女心のパターンでもなかった。

アリエッティの行動を見守るという姿勢を貫いたスピラーだった。

その時、父、母、の心情は何もなく、手術に向かう翔の心情の変化やその経緯もまったくないまま。エンドロールが始まる。

残念だが、後半は脚本にも監督にも、何か問題があったとしか思えない。前半の完成度から後半の締切りに間に合わせた感がとても残念だ。

せめて、前半のベンツでの長回しがあったのだから、後半もベンツで病院に向かう翔の、一人語りで、ひと夏の不思議な経験が、少年が大人へ、そして生きることの意義を見出したところまで描いてほしかったよ… まろ監督!

宮崎 脚本になかっても必要だったと思う…。







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