人は死んでブログという遺産を残す

NHKの「IT ホワイトボックス」で、ジョン・ポステル氏の名前を久し振りにテレビで聞き、検索してみた。

1998年10月16日に亡くなっておられた

 インターネットの創始者の1人、ジョン・ポステル氏が死去
http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/981019/postel.htm
そして、ジョン・ポステル氏に対して、今年の3月にお亡くなりになられたばかりの日本インターネット協会名誉会長だった石田晴久氏のコメントを見つけた。

「ジョン・ポステル氏の突然の死には本当にびっくりしました。彼はついにサイバースペースにいってしまったといった人もいましたが、私もぼう然としました。というのは、ちょうど少し前にジョンに「インターネットRFC大事典」への序文を書いてもらい、その本がちょうど刷り上ったときに、彼の悲報が届いたからです。彼の書いてくれた文章は本当に最後の遺稿になってしまいました。できあがった本(1,000ページの大作です)をジョンに見てもらうのを楽しみにしていたのですが。」

その石田晴久さんが、2009年03月09日

石田晴久氏が死去、日本のコンピュータ・ネット研究の第一人者

石田晴久さんとは、今年のBCNアワードで久し振りにお目にかかり、サイバー大学で学部長をやられていることをお伺いしたばかりだったのに…本当にびっくりした合掌。

石田晴久氏もサイバースペースへと旅立たれました。

これから、だんだんまわりのネットで活躍している人がサイバースペースへと旅断つ機会が当然のことながら、増えてくる。

2000年に35歳で亡くなられたインプレスの山下憲治さんはブログが残っている。

2000年01月28日が最終の更新日だが、今読みかえしてみても、まったく亡くなられた気がしない。
肉体はなくなっているのだが、サイバースペースでの山下さんは今も生きている気がしてならない。

手塚治虫さんや、阿久悠さんのように、メディアにフーテージがあると、イキイキと思えるのと同じ状況になってきている。

そして親友のプログラマーの西本一さんは2001年に亡くなった。

彼のホームページはすでにDNSが見えなくなってしまったが、ご丁寧に今でも、盆と正月には、「プログラムでの、ご挨拶ですみません(笑)」と、冥土から毎年違った文体でメールの暑中見舞いと年賀状が届く。

生きているボクよりも、彼はよっぽど律儀だ。 

1993年3月14日「NCSA Mosaic for X 0.10」が公開されてから16年目。

ウェブは16歳の若者である。

おそらく、これからは、当然少子化が進み、ウェブを作る人よりも、ウェブを残して死んでいく人のほうが増える時代がやってくる。自分の娘と孫が、どうなるかを考えてみた。

今から10年後の2019年。

ウェブは26歳。 ボクは58歳 娘は33歳 孫が1歳と仮定してみる。

この頃のウェブはきっとすごいことになっているだろう。
おそらく僕のブログはまだ続き、収入は、アフィリエイトのみで生活しているだろう。娘もなんらかのブログを続けている。

そして、20年後の2029年。
ウェブは36歳。ボクは68歳 娘は43歳 孫は11歳

ボクは不摂生がたたり、サイバーワールドへ。そしてこのブログの収入は娘が引き継ぎ、そのまま持続していき、娘のブログは、孫の育児や教育の話などがメインとなる。

世間ではブログの世代交代が進みだす。故人のブログを閉鎖する人はすくなく、検索で得られるアフィリエイトは不動産のように遺族に収益をもたらし始める。
国もブログによるアフィリエイト収益の30%は課税するようになりはじめていることだろう。

そして30年後の2039年。

ウェブは46歳。ボクは78歳 娘は53歳 孫は21歳 

    娘はボクのブログ、娘のブログ、そして孫のブログから収益を得始める。
    時おり、ボクのブログは、社会の「インターネット史」に引用されたりすることで、死後も稼いでくれいるようだ。

さらに50年後の2059年。
ウェブは66歳 ボクは生きていたら98歳 娘は73歳 孫は41歳 曾孫が11歳

娘もサイバースペースへ、孫がボクと娘のブログの管理人に。葬儀の時には、家族が娘のブログを見て故人を惜しんでいる。ひ孫が50年前のボクの生活をブログや映像で見て、自分のルーツを知る。

そして100年後の2109年 22世紀 
ウェブは116歳 ボクが生きていたら148歳 娘は123歳 孫は91歳 曾孫が61歳 玄孫31歳 来孫が1歳

ブログはすでにお墓よりも、先祖を弔うツールへと変化していることだろう。おそらく仏壇にはネット端末がかざられ、先祖のブログをアトランダムに表示しているのかもしれない。

孫の子 = 曾孫(ひまご)
孫の孫 = 玄孫(やしゃご)
玄孫の子 = 来孫(らいそん)
玄孫の孫 = 昆孫(こんそん)
玄孫の曾孫 = 仍孫(じょうそん)
仍孫の子 = 雲孫(うんそん)

そんな孫の孫子までが、あなたのブログを、一生のうちに何度かは「古文書」として読むのである。

あなたの昼飯をどこかで何かを食べた情報や、どこぞの旅先の話、会社での出来事は、100年後には親族にとっては、歴史的な資料となっているのかもしれない。

未だかつて、庶民の先祖の情報がここまで赤裸々に子孫に伝える方法がなかったからである。

あなたの小さなセレモニーや決め事、ジンクスは、皇族に残るような伝統的な儀式と同じ意味になっているのかもしれない。

トラは死んで皮を残したが、ひとは死んでブログという「遺産」を残すのかもしれない。

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