堺屋太一先生のレトリックの巧さには、いつも感心してしまう。政局、政策、体制改革の違い

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堺屋太一先生のレトリックの巧さには、いつも感心してしまう。

わかりにくい話を、別の事象に置き換える事によって、もしくは歴史的な事象と比較することによってわかりやすく伝えてくれる。

政治とは、「政局=誰が果実を分配するか?」「政策=どこにどれだけ果実を配るか?」「体制改革=果樹園の品種改良」

政治には、政局、政策、体制改革の3段階がある。政局とは、何党が政権を取り、誰が首相になるかの争い。言わば「誰が果実を配るか」の話だ。

 政策とは、どんな規制をし、どの事業を実施し、どこに予算をつけるかの話である。いわば「どこにどれだけの果実を配るか」である。野田佳彦首相は消費税を引き上げ、官僚により多くの果実を配ることにした。

 これに対して体制改革とは、国の統治構造と国政の目指す倫理をどうするかの問題である。いわば、果樹園の地形を変え、土壌を改良し、樹木を植え替えようというのである。

第三の敗戦

第一の敗戦  第1の敗戦は幕末(1860年代)
第二の敗戦  第2の敗戦は太平洋戦争での敗北(1940年代)
第三の敗戦  今(2010年代)が第3の敗戦、戦後60年間続いてきた体制が総崩れとなっているのだ。

「戦後体制」とは何か。それは(1)官僚主導(2)中央集権(3)供給者優先──である。この3つが相補い、相支えて、戦後復興と高度成長を実現する一方、地域社会を消滅させ、家庭の団欒を破壊し、個人の独創を抑圧してきた。

その結果、1980年代までは、日本は「近代工業社会の天国」とも言えるほどに繁栄し、1億総中流の幻想と核家族職縁社会の安住に酔っていられた。「物財の豊かさが人間の幸せだ」と信じる近代工業社会の文明が世界を覆っていたからである。

だが、21世紀の今は違う。物財の豊かさよりも個人の満足こそ重要な世の中に変わった。それに日本の体制は対応していない。ここ20年余の経済不振と社会の退廃、教育文化の混迷は、そこに起因している。

政治主導

 政治主導とは、例えて言えば、タクシーのようなものだ。有権者に選ばれた政治家が行き先(方針)と道筋を示し、運転は技能と経験のある官僚がすればいい。

消費者優先とは、官僚よりも居住者を、教師よりも生徒を、管理人よりも住民を大事に考えることである。今、大阪では、そんな方向で府市統合本部が動き出している。これを日本全体にも広げたい。第3の復興のために。

体制改革こそ大阪維新の本質
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120727/235031/





 

 

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