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ホンハイの出資やリストラなどに揺れるシャープ。2年前に現在のシャープの姿を誰が想像できただろうか?世界の亀山を誇ったのは、液晶王国の次に何をなすべきなのか? 創業者 早川徳次も何度もの至難を超えてきた。創業者の歩みから、シャープの歩みべき道は見えなてこないだろうか?
シャープの創業者 早川徳次 が1912年に金属加工業を独立開業してから100年を経過しようとしている。
「常に他より一歩先に新境地を拓く」をモットーに鉱石ラジオで石杖を築く。
国産第一号テレビ、電卓、とさまざまなイノベーションを展開してきた。
http://www.sharp.co.jp/corporate/info/history/voice/manga/sougyosha/#page=5
何よりも、驚くのが、1912年の穴のいらないベルト「徳尾錠」の発明だった。シャープペンシルの発明よりも前だ。
そして、有名なのが、1915年の「早川式繰出鉛筆」つまりシャープペンシル=シャーペンの発明だ。
1923年、シャープペンシルで事業は急成長するが、関東大震災ですべてを失う…。工場も焼け落ちてしまう…。
早川徳次は、2人の子供と奥さんも失ってしまう…。さらに借金や負債処理のために、シャープペンシル事業譲渡と売却に走る。
そこで、残った社員とシャープペンシルの譲渡先の大阪へと都落ちする。
まさに現在のシャープが、見習うべき事例がここにある…。
ホンハイという企業の事業提携から出資という名の実質支配…。堺工場の台湾企業における日本国内中国生産地化。売上の低迷…。時価総額の減少…。
しかし、関東大震災ですべてを失った頃から比較すれば、乗り越えられる要素はたくさんある。
1924年、シャープペンシルの技術指導を終え、譲渡先を円満退社し、早川徳次は再起をかける。
田園地帯だった、大阪市阿倍野区で、「早川金属工業研究所」を創業する。
今から88年前のことだ。
文具部品製造が中心だったが、ひとつの鉱脈を見つけ出す…。
それが、ラジオだった…。
1925年からラジオ放送が開始という時期に、心斎橋の時計店で、鉱石ラジオを目撃する。すぐその場で購入し、持ち帰り、分解し構造の研究を行う。
金属加工はできても、電気には、ズブの素人が、試行錯誤の上、海外製品の半額でラジオを売りだした。ラジオ放送の2ヶ月前であった。
その後、シャープは、第二次世界大戦なども乗り越えて、革新的な製品を生み出し続けた。
「目のつけどころがシャープでしょ」
「目指してる、未来が違う」のスローガンに恥じないようなイノベーティブな製品創りに期待したい。
もし、シャープのあなたが、早川徳次だったら…何に着目し、どう販売するだろうか?
1959年に、シャープは太陽電池を開発している。
太陽エネルギー、メガソーラー発電、この分野ならば世界を相手にまだまだ競争力がある分野ではないだろうか?
http://www.sharp.co.jp/100th/hayakawa/