PBプライベートブランド商品の最初はダイエー 。 ダイエー帝国崩壊の理由

PBプライベートブランド商品の最初はダイエー ダイエー帝国崩壊の理由

ダイエーのPB時代、ブランド名は、『ブブ』だった。


しかし、子供心にも、『ブブ』の家電のある家は貧乏くさく見えた。
それくらいNB(ナショナルブランド)志向が強かった。特に家電はNBはつぶれにくい。PBはすぐに潰れる…。だからNBを志向する。

実は、1961年からインスタントコーヒーで、PBを展開していた…

 

第1弾は1961年に発売したインスタントコーヒー。(流通科学大学のダイエー資料館)
衣料品は『ブルーマウンテン』

ダイエー – Wikipedia


ハンバーガーショップは『ドムドム』

ドムドムハンバーガー – Wikipedia


ディスカウントチェーンは『トポス』

トポス (ディスカウントストア) – Wikipedia

 

コンビニエンスストアは『ローソン』

ローソン – Wikipedia

会員制ホールセールは『プライスクラブ』

プライスクラブ – Wikipedia


ダイエーは何でも早かった!


松下電器産業(現・パナソニック)は商品供給を全面停止した。そうした中、ダイエーは70年、自社ブランド「ブブ」の13型カラーテレビを発売した。価格は5万9800円で当時のメーカー品の半値。

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https://www.nikkei.com/article/DGXLASHD24H71_V20C16A8AA2P00/

 

 

ダイエー帝国 崩壊の理由
ダイエーは、小売を兼ねた不動産業だったからか!
 
ダイエーも西武も独裁的経営が破綻した結果である。有能な社員が去り、無能な忠誠心の高い社員が残った。
 
□ダイエー問題はわが国の大手総合スーパーに共通します。端的に言え ば、「土地含み資産の増加部分」を真の資本とする経営だった。これが銀行融資の不動産担保至上主義と結びついていた。
 
□【土地というマネー発行装置】
最初は商店街のはずれに、次は郊外に、あらかじめ周辺の土地を買い 占め、店舗を作った。団塊の世代の住まいは、郊外へ移動しつつあり、地価は年率2桁で上昇していた。 銀行へは金利だけを払えばいい、店舗の営業での利益は必要ない。銀行も、返済より確実な資産である土地担保のある会社への融資増加を 求めていた。「そごう」の水島氏、西友の堤氏も同じだった。
 
□【不動産業が小売りを兼業した】
ダイエーは利益から返済をする気はもともとなかった。不動産が利益 だった。不動産では非公開の関連会社にもたせたものがあり創業家はその株をもっていた。不動産を本業とする中内家にとって小売業は兼 業のように見えるのです。資本の内容から言えば、ダイエーは不動産業です。