「アントニオ猪木」という名の北朝鮮との外交カード

アントニオ猪木という名の外交カード

菅義偉官房長官が「全ての国民に北朝鮮への渡航の自粛を要請している。この政府の方針を踏まえ、適切に対応すべきだ」の声の中、アントニオ猪木氏の「闘魂外交」が開始された。

アントニオ猪木、参院議員(74)は無所属議員だからこその個人活動が可能だ。
他の国会議員では持たない独自の外交ルートを持っていることは事実だ。

常に、アメリカに賛同し、遺憾であるという意見の表明だけで、表向きには、何もしない現政権。
いろんな外交カードを持っておくべきだと思う。

平壌訪問のアントニオ猪木氏 金正恩側近の李前外相と会談
北朝鮮の朝鮮中央通信によると、アントニオ猪木参院議員(無所属)が8日、平壌で前外相の李洙ヨン朝鮮労働党副委員長と会談
李副委員長は、金正恩朝鮮労働党委員長がスイス留学時代、同国大使として後見役を務めた側近。朝鮮労働党の国際部門を統括する。会談内容は不明だが、北朝鮮の核ミサイル問題や日本人拉致問題について議論した可能性がある。
 猪木氏は9日の北朝鮮の建国記念日に合わせ招待を受け、7日に平壌入りした。11日まで滞在する予定。同氏は昨年9月にも訪朝しており、訪朝は32回目になる。安倍政権は冷ややかに見ているが、北との対話に向けた行動をとるのは猪木氏だけ。帰国後、記者会見をする予定だ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/213264

つまり、アントニオ猪木氏は、北朝鮮から正式招待を受けた稀有な存在だった。

北朝鮮との関係

訪朝歴は、今回で33回目となる。単なる国会議員ではなく、北朝鮮側から見ると、エンターテイナーとしての日本人である。

❏師匠である「力道山」が北朝鮮生まれ。
アントニオ猪木は、北朝鮮が誇る故国のスター・力道山の愛弟子にあたる。

1995年、北朝鮮では、猪木氏と力道山氏は、記念切手にもなっている

❏「平和の祭典」の興行イベントが北朝鮮で人気 視聴率95%
アントニオ猪木の師匠である力道山が朝鮮半島出身であったことなどから強力に推進。
1995年 猪木が平壌で「平和の祭典」を行った際に、モハメッド・アリも、北朝鮮入りをし、メインイベントである猪木とリック・フレアーの試合の立会人を務めた。
・第3試合には、元・文部科学大臣の馳浩衆議院議員も参戦
・第6試合の佐々木健介は大会に参加していた第2試合の北斗晶に一目惚れし、帰国後に結婚を申し込む。北斗もこれを快諾し、異例の早さでの結婚となった。

平和のための平壌国際体育・文化祝典
1995年4月29日、綾羅島メーデー・スタジアム、観衆19万人

アントニオ猪木氏の外交手段

「おれが言いたいのは、ドアを閉め切る外交というのが世界中どこにあるのかということです。話し合いもしないで、どうして解決するんですか(中略)制裁をかけたら『ごめんなさい』と言うほど、相手は甘くない」(週刊朝日2010年11月12日)
http://diamond.jp/articles/-/141325

闘魂外交歴

1990年 キューバのフィデル・カストロ前議長との交流
2002年  イラク日本人人質事件サダム・フセイン大統領(当時)と交渉したといわれる。

アントニオ猪木の「訪朝」がバカにできない理由
http://diamond.jp/articles/-/141325

イスラム世界でのアントニオ猪木の人気はこれらの戦いによる

モハメッド・アリ戦 1976年

イスラム教信者で世界的な有名なモハメッド・アリ氏との異種格闘技戦
この戦いを機に、モハメッド・アリとの交流は続く。

パキスタンの国民的英雄 アクラム・ペールワン戦で勝利  1976年

パキスタン国王に祝福され、後に「猪木記念日」までつくられた。

幻のウガンダのアミン大統領戦  1979年

当時のイディ・アミン大統領(故人)はアフリカのウガンダで独裁政治を敷き、政敵を次々に弾圧。虐殺も行った。「黒い皇帝」と呼ばれた一方、元軍人でボクシングでも活躍した武闘派だった。そのアミン大統領との決戦話が進む中で、アリ氏のレフェリー起用が浮上。その交渉の発端が結婚パーティーだったというのだ。

 この仰天マッチは79年1月に同年6月10日ウガンダ開催で“正式発表”までされたが、アミン大統領が失脚して流れ「アリレフェリー」も幻に。それでもこの再会を機に、猪木氏とアリ氏はさらに親交を深めていくことになる
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/536714/